留学成功の秘訣
語学学校より大学のほうがいいんじゃないか。たった3ヵ月では「留学経験」とは言えないのではないか。留学を前に、こんなふうに悩む人は少なくない。天野さんもそうだった。「もともと公務員志望で、留年までして試験を受けたんですが、ふと『私ってホントに公務員になりたいんだろうか?』という疑問を持ってしまって。その時に思ったのが、小さい頃から夢見ていた留学。23歳という若さがあり、しかも就職する前の自由な身分である今しか行くチャンスはない、と気づいたんです。たとえ3ヵ月でもいい。今行かないと、将来、絶対後悔するって」 3ヵ月という期間は、「自分で貯めたお金で行ける最大期間」だったから。そして、不安半分、期待半分で、初めてのアメリカへ。でも、サンディエゴに着くまでに大事件が!「シアトルで乗り換えの飛行機から降ろされて、何時間もロビーで待たされたんです。私、不安で不安で、思わず留学ジャーナルの24時間サービスに半ベソかいて電話をしました。『何が何だかわからない』って。そしたら、『その場にいるのはあなただけなんだから、勇気を出して誰かに話しかけてみて』と言われて……。そこで、近くにいた老夫婦に聞いたんです。「私は日本人で、今の状況がわかりません。ゆっくり説明していただけますか?』と。それでわかったんです。サンディエゴが史上最大の山火事で大変なことになっているって」。勇気を出した初めての会話。自分から動き出さないと、アメリカでは何もできないし何も始まらないことを、滞在先に着く前に天野さんは学んだのだ。 留学中、目標が3つあった。外国人の友だちをたくさん作ること、一人旅をすること、そして目の前の勉強に一生懸命打ち込むこと。でも3つ目の目標は3日目に挫折しそうになった。「英語が全然聞き取れなくて、先生に『下のクラスに変えてほしい』と泣きついたんです。そうしたら『あなたは力があるから、あと3週間ガマンしなさい』と。ホントに不思議なんだけれど、先生の言う通り、3週間目で、突然、聞けるようになったんです!」
ホームステイ先は、6歳の子供がいる素晴らしい家庭。でも、この家庭とめぐり合えたのも、天野さんが自分から動いたからだった。「最初のホームステイ先が少し変わっていて、ここではやっていけないと思った。で、ハウスコーディネーターさんに、変えてほしいと交渉したんです。ただ、やっぱり泣きながら(笑)。『私は英語の勉強があんなにできたのに、どうして英語でうまく説明できないんだろう』って情けなくて。滞在先ではホントにいろんな壁がありましたけれど、打たれ強くなったし、石橋を叩いて渡る生真面目な私が、いい意味で『自分で動けば、絶対に何とかなる!』という前向きさを身につけることができたんです」 楽しい日々はあっと言う間に過ぎる。10月に渡米した天野さんは12月を迎えたところで、帰国後の自分を考えるようになった。「不安でした。『新卒でたった3ヵ月の留学経験しかない私を雇ってくれるところがあるんだろうか』って。帰国までに時間もないし、今から動き出さないとダメだって自分を追い込むような形で、留学ジャーナルのキャリア相談にメールをお送りしたんです。キャリアカウンセラーの佐藤さんからすぐにお返事をいただき、メールのやりとりが始まりました」。このやりとりで、彼女は「就職する自分」を自覚し、帰国後すぐに就職活動をするモチベーションを得ることができたという。「佐藤さんからのアドバイスは手帳にメモして、いつも見ていました。『何が得意で、何が好きか、自分の棚卸しをして下さい』など、心に響く言葉がたくさんありましたから」 帰国後はすぐに、留学ジャーナル主催の就職セミナーに参加。そこで出会った人材紹介機関・アデコのコンサルタントにメールを送り、現在の仕事を紹介してもらった。帰国が1月末。就職先を紹介してもらったのが2月、採用が3月と、とんとん拍子だった。「留学中は『たった3ヵ月』と否定の気持ちもありましたけれど、帰国後は消えていました。なぜなら、精神的に成長して、語学力も身についた私がいるから。期間の長さに関係なく、留学は、留学した人にしかわからない『何か』がある。だから私は行って良かったと心から思います。就職先も、どんな小さなコネクションでもいいから最大限に活用して、自分から動き、アピールしていけば、厳しい世の中と言われているわりには募集もあるし、門戸を開いているところも多いんです。大丈夫。自分を信じて動けば、絶対に何とかなります!」
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