留学成功の秘訣
都内の大手ホテルでベルスタッフとして勤務している白上さんは、「ずいぶん寄り道したかもしれません」と笑う。というのも、ホテルを志望したのは高校生の時だったからだ。「日本人が僕しかいない場所で、みんながとても優しくしてくれた。その恩返しをしたいという思いがずっとあったんです。もうひとつは、これも高校時代のことですが、ホテルの厨房で皿洗いのバイトをしたとき、そこで働く人々とその環境がすごくカッコいいと思えた。ホテルなら英語も使えるし、この頃から漠然と『ホテル業界への憧れ』が芽生えていたと思います」 とりあえずは英語力を高めたい。そこで選んだのが、後で大学に編入もできるエルカミノカレッジ 。「大学への編入は最初から考えていました。エルカミノカレッジ を選んだのは、4年制大学よりも少人数制だからじっくり学べると思ったし、費用も安かったからです(笑)」。ところが、初めてのカリフォルニアには、たくさんの日本人が。「ちょっとショックでした。こんなに日本人が多くて、英語が上達するんだろうかって。でも、バイリンガルになるには、英語も日本語も磨く必要があるんだと、気持ちを切り替えました」 その後は、予定通りネバダ大学ラスベガス校に編入。専攻はホテル経営学。「授業は月曜から金曜日の10時から夕方まで。僕の家にはコンピュータがなかったので、基本的にずっと大学にいたような感じです。あと、ホスピタリティを学ぶ学科だけあって、授業の一環として『1,000時間の就業』が必須だったんです。僕はラスベガスの日本食レストランで働いていました。本当はホテルが良かったのですが、門戸が狭かったし、英語にも自信がなかった・・・何年も学んでいるのにと思うかもしれないけれど、たかだか2、3年英語を学んで、『完璧になった』と思うほうが間違い。発音もボキャブラリーも、もっともっと高めなきゃって、常に思っていたんです。僕の場合は、もともと英語が苦手で勉強の仕方も要領が良い方ではなかったから、『人一倍努力しよう』、『人とは違ったことをしよう』、という意識が強かったのかもしれませんが(笑)」 卒業後は、就職をせずにOPTを申請。そのまま、日本食レストランの2号店立ち上げを手伝うことにした。「開店前から手伝ったので、店で冷蔵庫を買いに行くところから手伝いました(笑)。OPTの制度を使わない日本人は多いんだけれど、もったいないなあと思いますね。せっかく1年間、アメリカで働けるんですよ。見聞も広がるし、少しだけれどキャリアにもなるんだから、絶対やったほうがいいですよ。ただ・・・」日本での就職活動を考えると、反省点もあると言う。「日本の新卒の就職環境って独特でしょう?要領のいい人は、大学のセメスター(学期)中に、あるいは一時休学して、日本の新卒の就職時期に合わせて日本で活動をし、戻ってきてからアメリカの大学を卒業して、ちゃんと4月に社会人になっています。でも、僕の場合は、レストランの仕事が忙し過ぎて、そんな余裕がなかった。『僕が抜けると、誰かがしんどい目に合うんだなあ』って。それと、やると言った以上、途中で諦めるのがいやだった。自分の就活方法に後悔はしていないけれど、せっかくだから、新卒という武器のある時期に、就活しておいても良かったかなあとは思います」
2005年10月に帰国。彼はすぐに就職活動をせずに、まずは日本でコンビニの契約社員として働くことにした。「本音を言えば、スーツを買うお金もなかったからなんですが(笑)、7年以上アメリカにいたわけですから、日本語がおぼつかないし、日本の働く環境にも慣れていない。そのままホテルの面接を受けてもダメだろうなと思って」。インターバルの期間は半年。4月には「いつでも面接に行けるように」コンビニを辞め、時間の融通が利きやすい、友人の仕事を手伝いながら本格的に就職活動を開始した。半年間に貯めたお金で、東京・大阪のホテルを泊まり歩いた。「インターネットでも情報収集をしましたけれど、いろんなホテルを目で見て、自分に合ったものを探すというのが、僕の就活スタイル。その結果、近代的でスタイリッシュなホテルが、僕が働きたい場所なんだなあということがわかりました。あと、日本の就職状況がわからないから、実際に書いた職務経歴書をアデコの方に見ていただいたり、就職している友人に模擬面接をしてもらったりしましたね」 初の面接は今年の5月。受けたのは吟味した2社だけだ。「なんで日本には『新卒』と『中途』という枠があるのかなあと不思議でしたね。僕はどっちなんだろうと、最初は悩みましたけれど、少なくとも新卒ではないわけだから、『中途採用』に応募したんです。面接では、OPTのこと、日本でのコンビニのアルバイトのことを話しました。職務経歴にはならないけれど、『何もしてない』と思われるのがイヤだったから。面接は、友人からの『お前の話は抽象的過ぎて、印象が薄くなる。なぜホテルで働きたいのかを、もっと明確にすべきだ』というアドバイスが効いたと思います。高校の時からずっと持っていた思いと、自分の目で見たホテルの魅力などをぶつけることができましたから」 その結果、2社から内定をもらい、彼は今、都内の大手ホテルに勤務している。プロのベルボーイを目指して奮闘中だ。「帰国後に受験したTOEICは905点というスコアでしたが、最終的に認められるのは、TOEICなどの点数ではなく、なぜその仕事がしたいのかをハッキリ伝えることだと思います。OPTやアルバイトなどは、それを裏付けるためのもの。僕は、大学で学んだホテル経営学という専攻も、自分のアピールにはしませんでした。志望には自信を持ち、それまでの経験は謙虚に、それぐらいのバランスがいいような気がします」
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