留学成功の秘訣
小賀さんが留学を決意したのは大学3年生が終わる頃。就職セミナーに参加したり、自己分析をしたりしていた時、『自分には具体的な強みが何もない』と、焦ったという。大学2年の時にひとりでヨーロッパ7ヵ国を旅し、3年生の夏休みにはトルコへの一人旅で少数民族のクルド人と交流できたことも、かけがえのない経験だった。その経験から、『将来は外国に関わる仕事をしていきたい』と感じたものの、いざ、就職活動となると『このまま社会に出て、自分は通用するのだろうか』と不安を感じたのだという。「ヨーロッパの一人旅では、初めての海外旅行の準備から帰国までをひとりでやり遂げて、知らない国のことも分かったけれど、語学力の問題やシャイな性格から、現地では思ったようにコミュニケーションがとれなかったという悔しさも残ったんです。これでは海外に関係する仕事をしたいと思っても何もアピールできない、と思ったんです」。こうして小賀さんは就職活動をやめて、アルバイトやTOEFL対策などの留学準備にとりかかった。 桜美林大学を卒業後、翌年9月にオハイオ州立大学の3年次に編入する。国際関係学部では、中東アジアの問題や、テロリズムについて学んだ。日本の大学でも卒論のテーマとした内容だったので、背景を理解した上でより深い内容を学ぶことができた。しかし、最初の1年はこれまでの人生で最も苦労したという。 授業は1クラス20人から50人くらい。日本人どころか留学生は小賀さんただひとり。英語力不足で授業についていけない。『授業についていかなきゃ!』という思いで、部屋にこもって勉強ばかりしていて、約半年間は友人もほとんどできなかったという。「今ではもう『ネタ』として話せるようになりましたが、ある朝、目が覚めたら身体中傷だらけだったことがあるんです。ストレスから夜中に身体中を自分で掻きむしっていたみたいで(笑)。随分経ってから、当時のルームメイトが、夜中によくうなされていたよと教えてくれました(笑)。そのくらい追い込まれてたんでしょうね」。必死で勉強するうちに、小賀さんは自分の英語力の課題が『発音』であることに気づく。 「ちょうどその頃、ルームメイトが変わったんです。地元オハイオ州出身で同じ歳のマーク。彼は知識が豊富で気さくな性格でした。その頃は、わからない単語や読めない単語があると書き留めておいて、毎晩、彼に発音してもらって録音していました(笑)。それを繰り返し何度も聴いていました」。授業では、どの先生にも、自分が英語力にハンディがあることを事前に伝えていたが、中には授業への参加姿勢に評価の重点を置く教授もいる。アメリカでは多くの大学が評価項目の中に“Participation”という指標を設けている。授業での発言やグループでの役割など、積極的な姿勢を評価するのだ。「2年目の最初の頃、『中東政治』のクラスでのことだったんですが、ディスカッションのスピードについていけず、なかなか発言できずにいたんです。グループワークをする時にも、教授だけでなく、クラスメイトからも、やる気がないと思われて同じグループになることを避けられる始末。キツかったですねぇ(苦笑)。日本でも勉強していた分野だったし、意見がないわけではないのに、授業のテンポが速くて途中でついていけなくなってしまう。12週ある授業の5週目の時に、このままじゃいけないと思って、勇気を振り絞って、自分の英語力のハンディについてクラスで言ったんです」。それ以降、クラスメイトや教授も、「Masaoはどう思う?」と振ってくれたり、参加しやすい状態を作ってくれるようになったという。 2年目の冬になると授業や友人とのコミュニケーションも上手くいくようになり、大学の寮を出て香港人とマレーシア人の友人たちと1軒家を借りて3人で生活を始める。この頃になると、気持ちにも余裕が出てきて生活を楽しめるようになった。キャンパスでたまたま知り合いになった日本人の学生から誘いを受け、JSO(Japanese Student Organization)という『日本人会』のイベントを手伝うことになった。キャンパス内で日本の『お祭り』をするという初の試み。大学の大きな体育館を借り切り、ステージでは日本舞踊やお花、武道のパフォーマンスを行い、フロアにはヨーヨーやヤキソバなどを縁日のように出店した。企業からの協賛も集めたこのイベントは大盛況だった。JSOの副リーダーをしていた彼と知り合ったことで、意識の高い日本人留学生との出逢いが拡がった。
例えば、日本の大学の医学部から研修で短期留学していた友人。「彼は、何かに挑戦する時に『意識の壁を作らない』んです。人と接する時にも物怖じしないし、5ヵ国語を話すんですが、それらも興味があったから独学で勉強して覚えたものだそうです」。彼にしろ、ルームメイトの香港人の友人にしろ、JSOの副リーダーにしろ、みんな自分より年下なのに抜群に人間力が高くて、彼らの周りには人が集まる。彼らから受けた刺激は留学で得た最大の財産だと言う。「僕は、それまで、自分で高い目標を掲げながらも、その目標を『実現不可能なもの』と思い込み怖がっていたんじゃないかと思います。自分を過小評価して可能性に対して心を閉ざしていた。物怖じせずに挑戦する彼らに出逢ったこと、そして彼らに心を開いて接したことで、可能性に壁を作らず自分自身を等身大で見れるようになりました」。刺激的な彼らとの出逢いは長いトンネルを抜けて光が差し込んだ瞬間かもしれない。 年が明けて1月、そろそろ帰国後の就職も考えようと、『リクナビ』などの就職サイトをチェックした。応募が帰国に間に合わない春採用の企業には、直接国際電話をかけて日程調整の依頼をした。「5社に電話し、3社は帰国日程を考慮してくれました」。その後、順調に単位をとって6月に卒業、帰国する。帰国直後の6月、7月に東京で行われた『海外大生向けの就職フェア』にも参加した。ディスコ主催の『東京サマーキャリアフォーラム』、リクルート主催の『東京キャリアフェア』、毎日コミュニケーションズ主催の『東京キャリアミーティング』の3つに集中して参加。「僕は、企業セミナーのようなものはあんまり意味ないんじゃないかと思うんです。どの企業もだいたい言っていることは一緒のような気がするし。それより、生の声を聞くチャンスだと思って、採用担当の人をつかまえて話を聞くくらいの強引さも必要なんじゃないかと思います。留学生はスケジュールや距離的にも、OB訪問などで直接話を聞ける機会が少ないですから」。主要な3社のフェアにすべて参加した小賀さんに、それぞれ工夫したことなどあるかを伺った。「もちろん、希望企業が参加しているか事前に調べることは大切だと思いますが、希望していない企業でもいろいろな業種に触れることは大切だと思います。参加する前から決め付けるのではなく、実際に目で見ること、生の声を聞くことで興味が拡がります」。小賀さんはこうしたセミナーへの参加から、就職フェア会場でも積極的に友人を作り、情報収集の範囲を広げて実際の面接へ進んでいった。しかし、最初は伝えたいことを相手にわかりやすく伝えることができずに落とされることが続き、随分落ち込んだという。その時に小賀さんが行ったのは、『質問された事をすべて書き出し、文章にする』ということだった。「留学していた人なら、やってきたことや、感じてきたことはたくさんあるはず。それを相手に上手く伝えられないのはもったいない。僕も、落ち込みながらも冷静に分析して、地道に文章を組み立てる作業をしました。内定をもらった会社の面接の時に、『小賀さんはプレゼンの経験がある?』と聞かれた時は、『やった』と手応えを感じました(笑)」 一人旅や、大学での授業をきっかけに海外でのインフラ事業に興味を持っていた小賀さんだが、4社から内定をもらい、4月から第一希望の企業で新生活をスタートする予定だ。 小賀さんから、留学を考えている人、就職活動を考えている人にメッセージをいただいた。「目標に向かって努力してでてきた結果を大切にしてほしい。いくら努力しても必ず自分の理想どおりの結果がでるとは限りません。理想の100パーセントを目指しても、結果が60パーセントしか残せないこともあります。しかし実はその60パーセントがとても価値のあることだと思うんです。勉強にしても就職活動にしても、人生で努力すればなんらかの形で結果は出てきます。それを卑下せずに冷静に見つめなおすと、生きるヒントだったり、次のステップアップへの助走だったり、多くの価値を持っていることに気づきます」。 必死に努力しきったからこそ、その結果を認める。更なる成長を目指すためにもその重要性に気づいた先輩からの温かいアドバイスだ。
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