留学成功の秘訣
2007年3月
日本の大学を卒業後5年8ヵ月勤務した大手系列のソフトウェア開発会社を辞めてカナダに語学留学した内田さん。帰国した現在はアメリカに本社を構えるITベンダーの日本法人に勤務している。アジアマーケットへの展開を見据えて設立された、この『ブリッジゲート・アジア株式会社』は少数精鋭でスタートを切った。内田さんと時期をほぼ同じくして入社した同僚はカンボジア出身の26歳の男性。日本で高等専門学校を卒業し、日本語も英語も流暢に使いこなす。入社して2ヵ月目には彼と一緒にフロリダに渡り、本社で商品知識や顧客サポート方法についての研修を受ける。もちろん研修は全て英語だ。留学で身につけた英語や国際感覚を活かしてフルに活かして仕事に取り組んでいる内田さんに留学のきっかけや留学生活、転職に至るまでを伺った。 内田さんが将来のキャリアを考え始めたのは入社して4、5年経った頃だそうだ。仕事にも慣れ、プロジェクトのサブリーダーも任されるようになっていた。「その頃、海外への開発作業委託を対応する機会があったんです。『オフショア開発』というもので、インドや中国など人件費の安い海外へ開発を委託する流れが急速に広がりつつありました。その時に、海外と日本のエンジニアの間に入り調整を担う『ブリッジSE』という職種の人がいたのですが、技術的な知識と英語力を持ち合わせた彼らの市場価値の高さを実感しました」。IT業界においてインドや中国の優秀なエンジニアの台頭が加速することは明白だ。エンジニアとして基礎的な仕事を身につけ、次なるキャリアアップを考えたときに英語力の必要性を強く感じるようになったという。 決して英語が得意だったわけではないが、昔から洋楽が好きで英語が話せたり歌えたりすることへの憧れはあったそうだ。「自分の興味の持てる分野でスキルアップを実現したい」と留学を決意したものの、大手系列の安定企業を辞めて留学すること、帰国後初めて行う転職活動には不安を感じていたそうだ。「正直、相当不安でした(笑)。ただ、それまでの業務はどちらかというと、コンピュータに向かっていることが多く、今後のキャリアを考えたときに、もう少し『外向き』、つまり、顧客とのコミュニケーションの多い仕事や、世の中の流れを把握した上で提案していけるような仕事を目指したかったんです。そのまま転職をするという選択もあったのかもしれませんが、やはり当時の自分が欲しかったのは、ビジネスで通用する英語力。それから、SEの仕事では人と接する機会が少なかった分、海外で実際に多くの人と接してコミュニケーション力を鍛えたい、試してみたい、そういう想いがあったのかもしれません。とにかく、自分の市場価値を上げたいという気持ちは強かったと思います」 カナダへの語学留学を決めた内田さんは、出発前に留学ジャーナルでキャリアカウンセリングを受ける。カウンセリングではこれまでやってきた仕事内容から、それを活かした帰国後の仕事の可能性、そのために留学中には『示せる英語力』を身につけること、就職活動のタイミングなどについてのアドバイスを受けた。こうして留学中の目標や帰国後の動きもイメージしカナダでの留学生活をスタートさせた。 最初にホームステイしたのはフィリピン人の家庭。タガログ語と英語が飛び交う環境で、最初は戸惑うこともあったそうだが、ホームステイ先を移る時にはホストファミリーが別れを惜しんで泣いてくれるほどだったそうだ。留学中はホームステイのほか、ルームシェアなどして滞在先を4度変えた。スイス人やブラジル人のハウスメイトのほか、アメリカ人ともルームメイトになった。語学学校では、クラスメイトと一緒に図書館で課題をこなすなどをしながら、3ヵ月を過ぎる頃から言いたいことを伝えられるようになる。英語に手応えを感じると勉強するのも楽しくなってくる。伸び悩みを感じた時期もあったが、スラングを覚えたりしながら、生の英語に触れ楽しむことで、モチベーションキープのコツを掴んだそうだ。仲良くなった韓国人のクラスメイトとはロッキー山脈に旅行に行ったりスノーボードにも行き、当初予定していた留学期間はあっという間に過ぎていった。
「10ヵ月の語学学校を卒業し、英語の上達を実感できたものの、それをどう『就職』に結びつけたらよいのか、真剣に考えるようになりました。滞在を延長し他の学校で勉強することを考えながらも、一旦帰国し留学ジャーナルのキャリアセミナーに参加しました」。そのセミナーに来ていた人材エージェントのコンサルタントに迷っていることを相談すると、「やりたいことを思いきりやったらいいですよ」とシンプルな言葉が返ってきた。この一言で背中を押され、「自分にはまだやり残したことがある」と感じ、カナダに戻る。 再びカナダに渡ると、まずTOEICとビジネス英語の専門学校に通った。「今振り返ると、留学して一番辛かったのはこの時期です。英語が上達したと過信していました。就職を視野に入れたプレッシャーの中で、思いのほか英語ができない(笑)。日本での復帰の不安と焦りの中で、不眠症になりました」。眠れぬ日々は1ヵ月近くも続いたそうだが、極限状態の緊張を通り越すと、いつしか「勉強するしかない」「これだけやっているんだから身についているはず」と自分を信じて頑張ろうと気持ちを切り替えることができたそうだ。その結果、TOEICで835点のスコアを取る。900点を目指していたので悔しかったというが、その後は学校をプライベートレッスン形式のところに変え、更に3ヵ月英語力を磨く。「最後に通ったのは個人で運営している小さな教室でしたが、親切に指導していただき、最後の仕上げに役立ちました」。やりたいことや目的が明確な場合はプライベート形式のレッスンは有効かもしれない。 「やれるだけやった。もういいだろう」。納得して帰国した内田さん。改めて、留学ジャーナルでキャリアカウンセリングを受ける。留学で経験したことの報告を交えながら、やってきたことの整理と今後の具体的な動き方の確認をする。「自分と似た境遇の留学生の体験談が聞けたので参考になりました。また、カウンセリングの際に、『いつ頃までに何をしましょう』と行動目標の設定、確認ができたことで具体的に活動していくイメージがもてました」 複数の就職エージェントへの登録、スカウト式就職サイトへの登録を並行して行い、15社ほどに応募。6社面接を受け、現在の勤務先を含む3社から内定を獲得する。内定オファーのあった他の2社はブロードバンド放送を行っている外資系企業や、外資系製薬会社など業界は異なるがいずれも、『英語力』『SEでの経験、技術的なバックグラウンド』を評価され、それを活かす職種での採用だった。 内田さんはなぜブリッジゲート・アジアを選んだのか。「今の会社で担当している『プリセールス』という職種は技術的な知識で、販売・営業を支援する仕事。他の2社でのSE業務に比べ、一番やったことのない分野を経験できると思ったんです。更に、新規立ち上げメンバーともなれば自分の役割を果たしながらも一人ひとりに経営者の視点が要求されます。責任は重いですが、その分新しいことにチャレンジができます。留学前の会社とは規模も働くスタイルも全く違う。けれど、留学を経て、今、やっと留学前にイメージしていた『頑張れるフィールド』に来れたと思っています」 最後に、社会経験を経て留学した内田さんから、これから留学する人へのメッセージを頂いた。「 最終的に日本で働く限り、英語のスキルだけでなく日本での職務経歴やビジネスマナーも重要なポイントだと実感しました。実際、私は外資系企業に入ったはずなのに日本のビジネスマナーを勉強しなおしてます。スキルアップ、転職を視野に入れて留学を考えている方は、今、日本で学んでいることを大切にしてください。再就職する際に、『自分はしっかりと日本で働ける』、『その上、英語力もある』ということをアピールできれば、どこへ行っても高く評価されるのではないでしょうか。自分でしっかりと目標を立て留学を実現させた留学生は、それだけで期待される部分があると思います。自分だけのオリジナルな留学を計画、実現させていくのは最高に楽しいですよ。プライスレスです!」
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