留学成功の秘訣

大学留学体験者のケース

今月の成功者

-- Photo -- 吉野元博さん(26)日本人がNYで起業したPR会社の日本事務所に勤務

「本場の音楽や舞台に触れたい」と、高校を出てニューヨークに留学。「まったく話せない」状態から語学学校、コミュニティカレッジを経て、名門ニューヨーク大学に合格するまでに至った。家庭の事情から帰国を余儀なくされたが、ニューヨーク時代の人脈を活かして就職。現在、KDDI アメリカをクライアントに持ち、日本での販売促進担当として活躍している吉野元博さんに、これまでの道のりをうかがった。
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成功のポイント 1)留学中に積極的に外に出て人脈を広げた 2)“4年制大学編入”という目標を達成するために強い意志を持ち、戦略を立てて勉強した 3)クラスの中でリーダーシップをとり、取組姿勢を評価されるよう努力した
 
吉野元博さんのステップアップ

2001年3月
大阪の高校を卒業。1年間浪人生活を送った後、留学を決意。資金作りのためにアルバイトを始める
2003年1月
留学相談のため、大阪留学ジャーナルカウンセリングセンターを訪れる
2003年6月
渡米。ニューヨークにある語学学校Embassy English, New York
2004年8月
ニューヨーク市立大学ラガーディア・コミュニティカレッジに入学。4年制大学への編入を目指す
2007年6月
ニューヨーク大学に合格
2007年9月
家の事情により帰国。NYに本社を持つPR会社オー・プランニング入社。日本事務局の立ち上げとともに日本で採用され、KDDI Mobile(アメリカで使用する携帯電話)の日本での販売促進を担当
「NYで知り合った人に相談、東京に開設するオフィスへの採用が即座に決まりました」
「まったく通じない状態から、いつしか英語でディスカッションするのも苦ではなくなったんです」

大阪の進学高に通っていた吉野さんは、漠然と東京に憧れをもっていたという。「僕の育ったのは大阪の下町だったんですが、もっと広い世界に出たいと思っていたんです。早・慶・上智を狙ったんですが、全滅でした(笑)」。受験に失敗したとき、自分を見つめ直したという。「東京に出たい、と受験したが、もっと広い世界を見てみたい。東京よりも広い世界を」。そして吉野さんは留学という選択をする。アルバイトで留学資金を貯める傍ら、留学ジャーナルへ語学留学の相談に訪れた。音楽やステージなどショービジネスに関心があったことから、まず行き先をニューヨークにしぼった。そして、マンハッタンの中心部にある語学学校Embassy English, New Yorkを選択。住むところもマンハッタン北東部にある学校の寮に決まり、まさに理想のニューヨーク生活をスタートさせることになった。

英語は元々得意なほう。受験勉強で鍛えていたので、「渡米前は、かなり自信があったんです」。ただし、実際に英語で会話をした経験はほとんどなく、現地では当初ひどくショックを受けることになった。「文法は完璧だったんですが、スピーキングが全くダメで・・・。whereとか?have beenといったごく簡単なことがなかなか通じなかったんです。ニューヨーカーは早口で相手の言っていることもよくわからず、ほとんど会話になっていないような状態でした」。ニューヨークという街の独特のテンポになじむのも難しかった。「日本ではファーストフード店でも『お次の方どうぞ』なんて、すごく丁寧に言うじゃないですか。ニューヨークではNext!ってそっけなく叫ぶだけなんです。文化のギャップに戸惑って、慣れるまで3ヵ月くらいかかりましたね」

それでも、ジャズクラブ、ロックコンサート、ブロードウェイミュージカルと、夜や休日はニューヨークならではのエンターテイメントの世界を堪能する。語学学校で知り合ったスペイン人の友人らと出かけているうちに、次第に日常会話にも慣れていった。「英語で話せるようになると、自分の言いたいことを言う、やりたいことをやる、と、行動半径がどんどん広がっていきます。その頃は、日々自分の新しい可能性に気づくといった感じでしたね」

当初は語学学校の10ヵ月のプログラムを終えて帰国する予定だったのだが、「1年くらいではまだまだ自分のやりたいことがやりきれない」と、大学への進学を決意。語学学校の在籍期間を半年延長してTOEFLテストの勉強を始め、ニューヨーク市立大学ラガーディア・コミュニティカレッジへの入学を決めた。「語学学校は楽しめる面も多く、英語でコミュニケーションできるようになると友達もたくさんできたのですが、僕としては、大学に入り、もっと厳しい環境の中で自分の力を試してみたいという気持ちが強くなってきたんです」

コミュニティカレッジは一般に2年制で、実践的な職業訓練コースと、4年制大学へ編入するためのコースに分かれている。吉野さんもそこでは一般教養を専攻し、卒業後の編入に備えた。「日本の高校や現地の語学学校を出てすぐ、アメリカでレベルの高い大学に入学するのは大変だと思うんです。高校でかなり高い成績を得ている必要があり、また、授業についていけるだけの英語力を証明しなければなりませんから。現地のコミュニティカレッジでいい成績をあげれば、そのほうが上位の大学が狙いやすいと思います」

アメリカの大学では日本のように入学試験はないが、その分学業成績が重要視される。そのため、よいGPA(評定平均)を取ることと、授業や学内での取組姿勢が合格の決め手になる。吉野さんは編入先の大学で必要なGPAも事前に確認し、そのスコアを取れるよう意識してコミュニティカレッジでの勉強に励んだ。

 

「大学で学ぶことの内容は比較的容易だったんですが、数学の授業なども英語で受けなければならなかったので、予習して用語を調べていかないと、授業についていけなかったんです」。英語の本を丸ごと一冊読んでレポートを書くといった課題もあり、週に1回はほとんど寝ないくらいのペースで勉強していたという。

テストやレポートの成績だけでなく、授業にも積極的な態度で参加し、グループワークでは、常に率先して意見を出した。こうして吉野さんはいつしかクラスの中でリーダー的な存在になっていった。カレッジには留学生や移民の学生も多く、英語に関しては必ずしも皆がネイティブだとは限らない。そのことに気づいたことで、気おくれせずに堂々と話せるようになったという。結局、渡米時はほとんど話せなかったのが、カレッジ在籍中に、英語でのディスカッションも苦ではないほどになったのである。

そして2年後、コミュニティカレッジ卒業時には十分に上位レベルの大学に受け入れてもらえるだけの成績をあげ、名門ニューヨーク大学に合格を果たす。ところがその時、実家で父親が病に倒れ、急きょ帰国。ニューヨークに戻る目処が立たないまま、日本で過ごすことになった。「このまま日本にいるなら就職したほうがいいのかもしれないと、いろいろな人に相談したんです。ニューヨークで知り合った人のうち、帰国している人たちと日本で会うことができ、仕事の探し方など、いろいろ教えてもらうことができました」

そんなとき、ニューヨークでイベントやフリーペーパーの発行などを手掛けていた日系のPR会社、オー・プランニングが、東京に新しくオフィスをかまえるという話が持ち上がった。クラブやパーティによく顔を出していた吉野さんは、オー・プランニングの社長とは語学留学をしていた頃からの顔なじみで時々食事に行ったりしていた。相談したところ、その東京オフィスで採用、アメリカで事業展開するKDDI アメリカの仕事をすることが、即座に決まったという。「帰国する際、社長の依頼で、南米で携帯電話の電波調査をしてきたんです。そんなことから、仕事を任せやすいと思ってもらえたのかもしれません」

KDDI アメリカの仕事は、アメリカに滞在する留学生や駐在員に、KDDIの携帯電話(KDDI Mobile)を使ってもらうこと。顧客は日本人だが、アメリカの事情に詳しい必要があり、また現地にいるKDDI アメリカのスタッフと英語でやりとりをしなければならない。思いがけず得た仕事だったが、ニューヨーク在住経験の長い吉野さんにはピッタリの内容だ。「元々PRやマーケティングに興味があったので、まさにやりたかった仕事だといえます。留学したのも新しい世界でいろいろな人と会いたかったから。人と出会う機会の多い今の仕事は、自分に向いているのではないかと思います」

幸いにして実家の父親は健康を回復、吉野さんには再度渡米することも可能になったが、しばらくは今の仕事を続けていくつもりだという。「コミュニティカレッジではマーケティングも学びましたが、実際に仕事を始めてみたら、学んだことが現場でどのように役立つのかということが、よくわかったんです。これからもっと仕事の経験を積み、どんなスキルを磨けばいいのかはっきりしたら、またビジネスを学びにニューヨークに戻ることがあるかもしれませんね」

キャリアカウンセラーが分析

  留学ジャーナルでは、留学先の学校紹介や手続きサポートだけでなく、海外での生活に付随する商品やサービスもご紹介していますが、アメリカで使用できる携帯電話として、「KDDI Mobile」もご紹介しています。吉野さんは、現在そのご担当者として、東京留学ジャーナルカウンセリングセンターでの生活準備講座や留学フェアなどにも足を運んでいただいています。

改めて現在に至るまでのお話を伺うと、大阪の高校を卒業した7年前の記憶などを辿り、少し照れながらお話してくださいました。音楽やライブ、ショービジネスに興味があって留学先に選んだニューヨークですが、語学力を磨きながらも、当初の目的をしっかりと果たすべくアクティブに行動されたようです。「好きなことに夢中になる」。「やりたいことをやって楽しむ」。ニューヨークでしか見られない、感じられない体験を楽しむ手段としての語学力を吉野さんはぐんぐんと伸ばしていったようです。

その一方で、吉野さんは、強い意志と戦略的な計画力をもっていらしたようです。楽しいことに夢中になっているだけでは、状況に流されてしまうことも多いはずです。体験談にもありますが、アメリカの入学制度は日本の入試と違い、1回の試験で合否が決まるのはなく、在学中の成績(GPA)と取組姿勢で評価されます。厳しい環境に身を置き、3.8近いGPAを取得(GPAの満点スコアは4.0)するためには、強い意志と戦略性に加えて継続的な努力が必要です。

また、試験やレポートの評価だけでなくクラスでの貢献度という点では、生来、コミュニケーション力が高い方なのかもしれませんが、留学生の多くがぶつかることの多い言葉の壁というコンプレックスを早い段階で克服したことも奏功したのだと思います。物怖じしない態度で関わりあうことで周囲との関係性を密接なものにし、同時に英語力そのものも急速に伸ばしていったのではないかと思います。

名門ニューヨーク大学への入学は、残念ながら家庭のご事情で保留になってしまいましたが、そんなときに支援の手を差し伸べてくださる人がいるという事実は、クラスでの貢献度が高く評価されたというエピソードを裏付けるものがあります。計画を立てて、自分に厳しい目標を立てて勉強しながらも、異国の地で人との関わりを楽しみ、大切に築いてきた数年間がうかがえます。

現在吉野さんは、イベントの企画やWeb制作、NYのフリーペーパー発行など、幅広くPRを手がけるオー・プランニング社の日本オフィスに在籍しています。そこでKDDI アメリカをクライアントに持ち、アメリカで使用する携帯電話の戦略的な販売促進を担当していらっしゃいます。日々の進化が目ざましい携帯電話のサービスですが、吉野さんはユーザーに近い立場で企画を立てたりマーケティングを行ったりすることを仕事ながらに楽しまれているようです。

この、コミュニケーション力とバランス感覚、そして、自分が楽しめることに対しての引力とも言える感覚は、現在担当している商品・サービスに関わらず、あらゆるビジネスの分野で必要とされますし、実務経験が伴った時には、起業などを含めた“主体的な選択”も可能かもしれません。

日本に帰国され、約1年。吉野さんは、今、高校時代に憧れていた東京で働いています。ニューヨークとつながりながら、東京でビジネスの経験を積み、これから新たに出会う人たちと関わり合う中で、更に可能性を広げてご活躍されていかれることと思います。

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