留学ジャーナル45年の歩み

留学ジャーナルの歴史48年History

社会の動き(時代背景)

留学ジャーナルの歩み

2016

創業45周年を記念し、留学応援企画プロジェクトを実施

2015

ラグビーワールドカップ イギリス大会開催

日経平均株価が6月に2万円台に、円相場は1ドル125円台をつける

「グローバル人材育成研修ツアー in ベトナム」発表

第27回「ワールド留学フェア」を春に、28回目を秋に開催。春秋合わせて5,000人を超える来場者が参加

2014

ソチオリンピック開催

消費税が8%に

羽田空港国際線が大幅に増便

対面での個別留学相談者数が1万2,000人に

大阪留学ジャーナルカウンセリングセンター、事業拡大のため移転

『家族のための海外留学読本』発行

「グローバル人材育成研修ツアー in カンボジア」実施

2013

富士山が世界文化遺産に

和食が世界無形文化遺産に

文部科学省が留学促進キャンペーン「トビタテ!留学JAPAN」スタート

雑誌『留学ジャーナル』創刊30周年号発行

2011年に続き、「STM Star Awards」アジア最優秀留学エージェント受賞

2012

ロンドンオリンピック開催

LCC元年、低コスト航空会社が国内線就航

留学事業者に対する第三者審査機関「留学サービス審査機構(通称・J-CROSS)」の認証を受ける

『中学・高校留学徹底ガイド』発行

法人・企業様向けに「グローバルビジネス部」設置

2011

東日本大震災発生

クライストチャーチ大震災発生

ドル円市場最安値75.54円を記録

タブレット端末「iPad」発売

創業40周年を記念し、留学応援企画プロジェクトを実施

「STM Star Awards」アジア最優秀留学エージェント受賞

福岡留学ジャーナルカウンセリングセンター、事業拡大のため移転

東京、大阪、名古屋、福岡で開催した「ワールド留学フェア」の来場者が2,000人を突破

2010

横浜市でAPEC首脳会議開催

EUにおける経済危機が深刻化

留学費用(前受金)分別管理のため信託保全制度を導入

2008

北京オリンピック開催

リーマン・ブラザーズの破たんを契機に世界的金融危機ぼっ発

岡山にて「留学と英語フェア2008」を開催

雑誌『留学ジャーナル』創刊25周年号発行

第1回「大学生のための休学・認定留学事前ワークショップ」開催

2007

大学生の求人倍率がようやく2%超え

サブプライム問題で世界の経済・金融に混乱

国際線LCC、ジェットスター航空が大阪/関空-ケアンズ線、大阪/関空-ゴールドコースト線就航

留学ジャーナル・英会話イーオン共催で「ワールド留学フェア 2007 Spring」「英語と留学EXPO 2007」を同時開催

2006

FIFAワールドカップ ドイツ大会開催

海外生活情報冊子、国別『留学ポケットブック』を発行

第1回「海外大学進学者のための保護者会」開催

2004

北朝鮮拉致被害者5人が帰国

日本からの海外の大学等への留学生数8万2,946人で最多に

『留学ジャーナル』創刊100号発行

オーストラリア留学ネット(会社名:Japanese Exchange Programme Services Pty., Ltd., オーストラリア シドニー)の株式を取得、子会社化

東京留学ジャーナルカウンセリングセンター、信濃町に移転

2003

イラク戦争開戦

日経平均株価、算出以来の最安値(終値7607.88円)

(株)イーオンの出資により(株)留学ジャーナルを設立。(株)ICS国際文化教育センターより営業譲受

岡山留学ジャーナルカウンセリングセンター開設

2002

日韓共同でFIFAワールドカップ開催

雑誌『留学ジャーナル』創刊20周年号発行

留学相談者数が1万2,000人を割り込む

2001

アメリカ同時多発テロ事件発生

アメリカ同時多発テロ翌日、日経平均株価、1984年以来の1万円割れ

中学・高校生を対象に「夏休み語学研修グループツアー」を初めて実施

アメリカ大使館、アメリカ2年制大学協会後援で「アメリカ2年制大学フェア」を開催

「ワールド留学フェア」開催。700人が来場

2000

三宅島火山活動避難勧告発令

「カナダ留学フェア」開催

「アメリカ留学フェア」と「ICS留学フェア」を統合

「ワールド留学フェア」を開催(現在まで毎年開催)

「イギリス大学フェア」開催

コロンビア大学など東部名門大学と留学フェア開催

UCLA Extension「夏休み留学スカラシップ」全額支給奨学生募集実施

企業インターンシッププログラムを開発

1999

大学生の求人倍率が初めて1%を割り込む

EUが単一通貨「ユーロ」導入

世界人口、60億人突破

「アメリカ留学フェア」(アメリカ大使館商務部後援)開催

各国フェアを統合し、「ICS留学フェア」開催

カリフォルニア大学と共同留学フェア開催

留学ジャーナル別冊『留学で私が変わる』発行

1998

長野オリンピック開催

アメリカ、オーストラリア・ニュージーランド、イギリス・アイルランドの各国フェアを開催

1997

消費税率3%から5%へ

大学卒業後の就職難が深刻化。このころから大学卒業後に就職せず、留学を考える人が目立ち始める

アメリカの日本人留学生数が4万7,073人で最多に

インターネットの普及に伴い、留学ジャーナルウェブサイト開設

1995

阪神・淡路大震災発生

為替相場で円が79.75円に

Windows95発売

オーストラリア大使館後援で「オセアニア留学フェア」開催

アメリカ大使館後援で「アメリカ留学フェア」開催

東京カウンセリングルーム、渋谷から新宿に移転

1994

初めて1ドル=100円を突破

リレハンメルオリンピック開催

円高もあと押しし、夏・春休みを利用した短期留学が大学生の間でブームに。それまで短期留学のプログラムは1ヵ月が平均だったが1週間の留学が出始めた

アメリカ大使館後援で「アメリカ留学フェア」開催

1993

サッカーJリーグ開幕

留学希望者のための「サクセス就職講座」開催

1992

バルセロナオリンピック開催

カラオケボックス登場

国家公務員の週休2日制、全国の公立学校で月1回の学校週5日制スタート

留学生のための24時間緊急電話サービス「ICSスチューデントアシスト」(現 留学ジャーナル スチューデント・プロテクション) 業務開始

アイルランド大使館・英国政府観光庁協賛で「イギリス・アイルランド留学フェア」開催

カナダ大使館と共同主催で「カナダ留学フェア」開催

1991

湾岸戦争勃発

ニュージーランド大使館商務部協賛で「ニュージーランド留学フェア」開催

カナダ大使館と共同主催で「カナダ留学フェア」開催

1990

日経平均株価、一時2万円割れ

カナダ大使館と共同主催で「カナダ留学フェア」開催

1989

留学生数がついに10万人を突破。84年からの5年間で8万人増加

元号が昭和から平成へ

ベルリンの壁崩壊

日経平均株で価算出開始以来の最高値(終値38915.87円)をつける

好景気を背景にOL留学がブームに

女性の留学専門誌、別冊『Moving up』発行

短期留学の専門誌、別冊『夏の留学』発行

ニュージーランド大使館と共同で留学小冊子発行

福岡カウンセリングルーム開設

留学出発者数1万人を突破

1988

企業の多国籍化が増加

3%の消費税実施

ソウルオリンピック開催

全国16大学の男女学生953人を対象に実施した「留学に関するアンケート」で留学をしてみたいと7割以上の大学生が回答

国家プロジェクト"The American Train in Japan"に留学情報館として協力

『留学REPORT』発行

オーストラリア大使館と共同で留学の小冊子を発行

東京カウンセリングルーム、銀座から渋谷に移転

大阪カウンセリングルーム開設

名古屋カウンセリングルーム開設

1987

国鉄が民営化。JRグループ発足

1985年に240円前後だった円相場が、1987年の年末には120円台まで上昇

第一勧銀カード(当時)と提携し、留学生用クレジットカード「ICSカード」発行

1986

急激な円高により留学ブームが起こる

若い世代を指す「新人類」という言葉が登場

カリフォルニア大学とスタッフ交換プログラム実施

1985

80年代の留学ブームのきっかけとなったのが85年秋のプラザ合意。NYのプラザホテルで行われたG5でドル安に向けての合意が発表された翌日から円相場が急騰

「米国北西部大学連盟」(40大学)、日本代表に任命

第1回カリフォルニア州立大学I.E.P.スカラシップ(全額支給・奨学生)募集

1984

留学相談者数1万5,000人を突破。日本人留学生の数は、ようやく2万人に

1983

東京ディズニーランド開園

留学情報誌『留学ジャーナル』創刊。留学=大学、大学院留学と考えられていた時代に、初めて語学留学を紹介。アメリカとイギリスの語学留学168校を掲載

1982

留学相談者数5,000人を突破

1980

モスクワオリンピックが日本ボイコットのまま開催

NAFSA Association of International Educators 会員となる

1979

東京サミット開催

ソニーがウォークマンを発表

留学相談者数2,000人を突破

1978

新東京国際空港が開港(現、成田国際空港)

学校情報小冊子『留学インフォメーション』発行

1977

カラオケ誕生

ニューヨーク州立大学教授を招聘し、留学講演会を開催

1976

モントリオールオリンピック開催

セントルイス大学他、教授を招聘し、留学講演会を開催

1973

ベトナム戦争終結

第一次オイルショック勃発

変動相場制へ移行

米国大学調査(30大学)

1972

沖縄返還。新たに沖縄県が発足

留学情報紙『ガイドポスト』創刊

1971

ドルショックで、東京株式市場が暴落

スミソニアン協定で固定相場制廃止。1ドル360円から308円に

当社の前身であるICS国際文化教育センターが銀座で留学相談を始める