私、留学ジャーナルで留学しました。
「英語もどちらかというと苦手科目で、なにも分からなかった私。留学ジャーナルの無料カウンセリングに行って、 短期語学留学を体験。翌年には語学留学し、今は帰国して英語を活かした仕事をしています」 こんな声がたくさん届いています。先輩たちの声を聞いてあなたの成功する留学に役立ててください。
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学校は、バレッタの街の入り口から徒歩5分のところに立地し、繁華街を抜けて官庁街の一角にあって、とても便利です。街全体が歴史保存地区のようなもので、学校の建物も外見は石造りの中世の建物でしたが、内部は近代的に改装されていました。
授業は午前のクラスが9時から12時半まで、途中に休み時間をはさんで2コマで、午後のクラスは1時から2時半まででした。午後のクラスは、希望者だけに開講されています。午前中のクラスは、英語のレベル別に10クラスほどあり、1クラスの人数は9名程度と少人数制でした。基本的には、文法・テーマ毎にまとめられた学校オリジナルの配布プリント3~4枚を先生が簡単に説明し、その後はプリントの問題を生徒たちが、一問ごとに口頭で回答し、間違えていれば、その場で修正してもらうという授業スタイルでした。
学校では毎週月曜日に入学日が設けられていました。学校の生徒の中ではイタリア人の男性と私が74歳で最年長のようでしたが、年代は大学生から年配者まで、広範囲にわたっていました。生徒の入れ替わりもありましたが、最終週の私のクラスメイトは日本人が3名、スイス人2名、フランス人1名、ブラジル人1名、ドイツ人1名、中国人1名と多国籍でした。午後の会話クラスも英語レベルによりクラス分けがあり、私のクラス(C1―B2レベル)は多くて6名、少ないときは2名でした。先生がテーマを設定し、生徒がワイワイ発言する形で進められました。
毎週水曜日の昼食時に新入生のウエルカムパーティがあり、私はそこで出されるマルタ版サンドイッチ(フッティーラ)をいつも昼食としておいしくいただきました。先生にもよりますが、基本的に宿題はなく、マルタの生活を楽しみつつ、勉強しましょう、という雰囲気でした。
面白かった授業は、夏の繁忙期のために臨時採用されたアメリカ人の先生が担当する会話クラスで、犯罪に対する刑罰について議論し、その理由などをみんなで述べるという内容でした。
クラスメイトの中で、ブラジルから来ていた中年の男女の生徒はそれぞれ英語の現役教師で、政府の資金援助により英語研修に来ているとのことでした。私が「ブラジルからの留学だったら、米国とか英国の方が距離的に近いし、英語の本場なのに、なぜマルタに来たのか?」と聞いたら、授業料、交通費などを含めると全体では、マルタ留学の方が費用面で有利だから、と答えたのが印象に残っています。
私が滞在したレジデンスは、日本でいうと、少し上等な学生向けのアパートです。部屋はツインベッドルームで、シャワー・トイレ、洗面台、勉強机、エアコンなどの設備があり、とても快適でした。キッチンは共有でしたが、IHヒーターと電子レンジが各3台も。また、冷蔵庫も大型冷蔵庫の1段と冷凍スペースが各人に割り当てられていて、とても便利に使うことができました。別に洗濯部屋があり、全自動の洗濯機が3台、乾燥機が3台、アイロンの設備も万全でした。
建物内には10部屋ほどあり、宿泊者は1週間単位で入れ替えがありました。全員が年配者で、日本人は私だけでした。学校は、複数のレジデンスを持っているようで、年齢、人種などを考慮して宿舎を割り振っているのかもしれないと思いました。ほかの宿泊者とは、朝食の準備のときにキッチンで顔を合わせる以外は、ほとんど関わる機会がありませんでした。顔を合わせたときは、挨拶をする程度。私は、朝食と夕食は全て自炊をしましたが、ほかの人達は、夕食は外食していたように思います。比較的近くに中華食材店が2軒あり(2軒しかない)、そこで味噌、醤油、米、うどん、インスタントラーメンなど基本的な食材は全て手に入れることができました。日本並みの大規模食料品スーパーで買い物をすることもできたので、食材には困りませんでした。
学校が旅行会社と提携したツアーを紹介してくれたので、私は、最初の一回だけ、バスツアー(スリーシティーズ巡り)に参加しました。それ以外は、地図とガイドブックを片手に一人で街を探索しました。マルタでの陸上交通機関はバスしかないですが、乗り放題の1週間有効チケットが21ユーロなので重宝しました。見るべきものはとても多かったです。
マルタ騎士団の聖ヨハネ大聖堂、オスマン帝国との戦いの際に活躍したエルモ砦、各国から派遣された騎士達の宿泊施設、彼らのために建設された大劇場、バレッタの地下に広がる大地下避難施設(1565年オスマン帝国のマルタ大包囲戦(The Great Siege)から第2次世界大戦のドイツ軍の空襲からの避難施設として使用された)、宗教裁判官の宮殿、そして中世の都市がそのままの形で残っているイムディーナなど、あげればきりがないほど見どころがあり、学業のかたわらの4週間では全然足りませんでした。
後悔していることは一つ。シチリアへフェリーでの日帰り旅行ができるとのことで、ぜひとも行きたかったのです、シチリアから戻ってくるのが真夜中になり、しかもフェリーの着く場所が私のレジデンスから遠かったので、帰りが心配で断念しました。この貴重なチャンスを逃したのは今でも残念です。学校を一日ぐらい休んででも、行くべきでした。
学生の学校滞在期間は、短い人は1週間(ヨーロッパ人に多い)、長い人は現地で学生ビザを取得し、1年ほどいるという人もいました。私のクラスの生徒が数日間欠席した後に、突然現れたときに、先生がどうしていたの?と聞くと、スペインとイタリアに旅行していたとか、シチリアに行ったとか、マルタでの留学生活だけでなく、ヨーロッパ旅行を楽しんでいるようでした。
「学校は、上記の写真で道路の左側に立っている男性の背後の建物です。」
私は学生時代に本格的に英語を勉強したことはないのですが、5年前に仕事を辞めてからは、英語の勉強に楽しみながら取り組んでいます。
第1に、英語の勉強は、頭脳を活性化し、ボケ防止に役立つ。
第2に、人生100歳時代といわれる中で、残りの人生で、まだ経験したことのない国や地域を旅行したい。
第3に、英語は、世界共通のコミュニケーションの道具として、旅行を快適にするし、地域の人達とのコミュニケーションに役立つ。
次は、アイルランドのダブリンで英語を学びつつ、アイルランドの生活を経験したいと考えています。
マルタは、長い間、英国の植民地であったこともあり、多くの住民がイギリス英語を話します。そして治安も良いです。マルタに留学するのであれば、留学中、またはその前後に、ヨーロッパのほかの国に旅行することをおすすめします。マルタからほかのヨーロッパの国への飛行機代は信じられないほど安いです。私もマルタを出国してから、ギリシャを10日ほど旅行しました。
また、マルタは、きれいな海に囲まれ、風光明媚なこともあり、ヨーロッパ大陸の人達にとって魅力的な観光地です。夏には観光客であふれると聞きましたので、短期の留学を考えている人は、夏の観光シーズンは避けることをおすすめします。私の行った学校には日本人のスタッフがいて、必要な人にはいろいろ親切にアドバイスをしてくれていました。特に、長期滞在の生徒は、現地の生活情報が重要になるので、大きな安心材料になるものと思います。
5年ほど前に英国のチェスターに3ヵ月ほど留学したとき、留学ジャーナルに学校手続きなどの手配をお願いし、良い印象を受けましたので、次に海外の語学学校に行くときもお願いしようと考えていました。今回は、コロナの収束が近くなったある日、急にマルタに行こうと思い立って相談しました。私の希望として、同年代の生徒が多く、かつ、滞在先は、ホームステイではなく学校が手配するアパートをリクエストしました。急な依頼ということもあってなかなか希望に合う学校が見つからなかったのですが、担当の留学カウンセラーが根気よく探してくれました。
田邊 利男さん(74歳)
短期留学
2023年4月から1ヵ月
レジデンス
英語力の向上を図るとともに、ユネスコ世界遺産の都市バレッタで生活し、マルタ騎士団の活動や歴史を肌で感じたかったから、マルタへの留学を決めました。
私の年齢が74才で、毎月お医者さんで投薬を受ける身なので、万が一の病気の悪化が懸念材料でした。くわえて、留学当時は、コロナが完全に収束していなかったので、その心配もありました。