大切なのは、目の前の世界を多面的に見ること
1897年創刊で、現在発行されている中で最も歴史のある英字新聞『The Japan Times』。ここで編集責任者を務める大門小百合さんは、高校時代、大学時代にそれぞれ1年以上の留学を経験し、ジャパンタイムズ入社後にもハーバード大学の大学院に留学した経験を持つ。留学で得た経験は、国際ジャーナリストの仕事の現場でどのように役立っているのか。また、英語で情報発信をするジャーナリストの目に現在の日本人学生たちはどう映っているのか。ご本人の留学体験から現在のお仕事まで詳しく伺った。
日本人・外国人の記者、編集者がデスクを並べて働く環境
加藤『The Japan Times』といえば、英語学習者や外資系企業に興味がある日本人にも良く知られた老舗の英字新聞社ですが、大門さんはどのようなお仕事をされているのですか?
大門私は現在、ジャパンタイムズ社の執行役員として、『The Japan Times』の編集責任を担う立場にあります。会社は、同じフロアに日本人・外国人の記者、編集者がデスクを並べて働く、いわば「小さな世界」。そして読者も日本人、外国人と、多国籍ですから、そうした読者が求める情報を発信する紙面とそれに関わる人たちをマネジメントするのが私の仕事です。
加藤まさにこれからの日本を象徴するようなグローバルなオフィスで日々お仕事をなさっているわけですね。外国人スタッフとのコミュニケーションで今も戸惑うことはありますか?
大門現在、直属の部下の多くが外国人で、仕事上のコミュニケーションは当然ながら英語が基本です。日本人と外国人では、育ってきた環境が違うので、指示の仕方やほめ方などを使い分けるような配慮が必要になります。ここで注意しなければいけないのが、外国人といっても欧米人とアジア人では感覚がまったく違うこと。もっと言えば、同じ欧米人でもアメリカ人とニュージーランド人の価値観が同じだと決めつけるのは大間違いです。こうした多様性を楽しみながら仕事ができているのは、やはり多感な時期に海外留学を経験したおかげだと思います。
16歳のとき、単身でアメリカの高校留学を決意
加藤大門さんはアメリカの高校を卒業されていると伺いましたが・・・。
大門はい、アメリカの高校へ留学したのが初めて単身で長期留学した経験です。その後、大学時代に1年、社会人になってから1年と、これまでの人生で3度の長期留学を経験しました。それらは、いずれもその後の人生に大きく影響する発見を与えてくれるものでした。 高校留学のきっかけは、高校1年のときに経験した4ヵ月間の短期留学。場所はアメリカのテネシー州。見るものすべてが新鮮で、現地での出来事を書いた手紙をこまめに母親に送っていました。するとこれが両親の心を動かし、「アメリカの高校に通ってみては?」という話が持ち上がりました。アメリカから帰りたくないと思っていた私がそれを逃すはずもなく、「行きたい!」という気持ちだけを頼りにペンシルバニア州の全寮制の私立高校に卒業までの2年間、通う決意をしました。 学校には、タイ、香港のほか、中南米出身の子もたくさんいて、私はここで多国籍社会というものを実体験で学んだ気がします。また、寮生活という密な空間で、「黒人差別」「両親の離婚」といった日本では遭遇しなかった友達の悩みと向き合い、憧れだった「アメリカの生活」が決して夢ばかりの世界ではないと知ったことも発見でした。 両親が離婚すれば誰だってさみしい、アフリカ系の子だって差別を受ければ泣きたくなる・・・。つまり、アメリカに住んでいるからって、みんながスーパーマンな訳はなくて、日本でも世界でも人間は変わらないんだなということがわかったという感じでしょうか。これは、今も私の価値観の基盤になっているものかもしれません。
日本の大学で自分の英語力の未熟さを痛感
加藤高校卒業後は、上智大学に進学されたそうですが、アメリカに残りたい気持ちはなかったですか?
大門残りたい気持ちはありましたが、親の強い意向もあり、日本に帰国して進学先を探すことになりました。そこに選択の余地はありませんでしたね(笑)。 高校時代に得た英語力を評価してもらえる進学先を探し、TOEFLとSATのスコアで受験ができた上智大学の外国語学部比較文化学科(当時)を選びました。当時から英語のみで授業を行うことで有名だった同学科の仲間は、大半が帰国子女やインターナショナルスクール卒業者、留学経験者でした。英語力はみなネイティブ並みで、皮肉にも私はここで自分の英語力の未熟さに気づかされました。「英語ってまだまだ深いぞ」と痛感したというか・・・。 ただ、アメリカの高校で身につけたディスカッションのスキルは活かされました。当時、元外交官の先生や現役のジャーナリストなども同じ学科にいて、「国際政治」や「比較文化」について、英語で議論する貴重な経験ができました。また、同じ頃、私はNHKでアルバイトをしていたんです。そんな環境が、英字新聞の記者をめざすという将来への第一歩になったのかもしれません。
加藤大学時代も留学を経験されたということですが、どちらへ行かれたのですか?
大門大学時代は、交換留学制度を利用して、ニュージーランドのオークランド大学に1年間留学をしました。ここでアメリカとは違う英語文化圏があることを知ることができました。 まず、驚いたのが英語の発音がまったく違うこと。今では当たり前のことですが、同じ英語とは思えないほどの違和感がありましたね。イギリスベースの文化でどちらかというとアメリカに批判的な雰囲気にも戸惑いました。例えば、アメリカの高校で英語を覚えた私は、わりとはっきりとものを言う話し方をしてしまっていたのですが、それも最初は空回りしました。 ニュージーランド人は内向的で、日本人のように物事をオブラートに包んで表現するところがあって・・・。例えば、パーティに誘われて行けない場合、アメリカ人は「行かない」とはっきり言うところをニュージーランド人は「すごく行きたいんだけど、どうしても事情があって行けないの、ごめんね」といった表現をするんです。これもいい勉強になりました。
ジャーナリズムを究めるため、ハーバード大学へ
加藤大学卒業までに、英語圏の異なる国で密度の濃い留学ができたのは、貴重な経験になったはずですよね。ところで、卒業後はすぐに就職なさったんですか?
大門はい、そうですね。私は上智大学を卒業後、ジャパンタイムズに就職しました。そして、報道部で主に政治・経済担当の記者としてキャリアを積みました。ただ当時、仕事をしていて、「自分は英字新聞社にいながら、アメリカの実情を深く理解できていないのではないか」と痛感することが多々あったんです。日々、海外のニュース記事には触れていましたが、アメリカの様々な事情に精通していないことに気づき、自信を持って発信できないもどかしさがありました。それでも周りは、「英字新聞の記者なんだから、何でもわかるでしょ?」という感じで質問をしてくる。この期待に応える責任を感じましたね。
加藤それで、社会人になってから3度目の長期留学を決意する訳ですね。
大門はい。ちょうど入社10年目という節目でもあり、先輩ジャーナリストの強い勧めもあって、一念発起。「ニーマンフェロー」という特別研究員制度を利用して、ハーバード大学で1年間ジャーナリズムを学びました。 「ニーマンフェロー」は、外国人記者12名+アメリカ人記者12名の計24名のための特別プログラムで、世界中からプロのジャーナリストが集結していました。中には、自国の政治汚職の真実を命がけで追っている南米の記者などもいたんです。自分がいかにぬるま湯のような場所で仕事をしていたかを思い知りましたね。 公共政策・国際開発分野の世界最高峰の大学院であるケネディスクールの授業を受けたことで、後にアメリカ国務省やCIAに就職していくような優秀な仲間たちとも出会うことができました。例えば、授業で彼らと「アメリカの外交戦略」などについて徹底的に議論をするんです。出てくるのは、イラク問題、北朝鮮問題、ロシアのパイプラインといったリアルなキーワード。この経験は私に自信を与えてくれました。
加藤トップスクールに留学する経験は、スキルアップだけでなく、将来のコネクションを広げる意味も大きいと聞きます。
大門間違いないと思います。ニーマンフェローである各国トップレベルのジャーナリストたちとのネットワークは今の私の貴重な財産になっています。 今でも当時の仲間とは密に連絡を取っていて、表に出て来ない現地の情報が必要なときは、互いに助け合っています。今年の夏には知り合いの『ボストングローブ』の記者から、東京五輪に向けた国立競技場建設の問題について事情を聞かせてほしいと相談を受けましたよ。
加藤報道というのは正しい情報を伝えることは当然だと思いますが、水面下にある事情やそこに生きている人たちの本音を理解しているのと、そうでないのでは伝わるものも変わってくるのかもしれませんね。次回は新聞社の仕事について、もう少しお伺いしたいと思います。