留学成功の秘訣

大学留学/MBA留学体験者のケース

今月の成功者

-- Photo -- 市川悟史さん(29歳) アイシン精機株式会社勤務

日本の大学に在学中、就職活動をしていて「自分には何も売りになるものがない」と壁にぶつかってしまった市川さん。留学資金を貯めるためのアルバイト期間中に入学条件をクリアする英語力を身につけ留学。学部入学から1年後にはMBAのコースに編入する。現地のビジネスマンと同じクラスでグループワークをしながら、英語が思うように通じず辛い時期も経験。悔しい気持ちをバネに在学中のアルバイトやOPTを通じ、ビジネスの実践の場で着実に英語力をつけていった。日系企業の米国現地法人での勤務を経て帰国、転職。2005年11月よりアイシン精機で勤務。市川さんがアメリカの5年間で探し、身につけたものとは?
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成功のポイント 1.「何か」を見つけるまで帰れないという強い想い 2.行動力 3.周囲の協力を得られる人間力
 
市川さんのステップアップ

1999年3月 23歳
大東文化大学経済学部卒業。在学中に、1年後に留学することを決めていたため物流会社でアルバイト。
2000年4月~6月 24歳
アメリカの語学学校、ELS Philadelphiaに入学。
2000年8月 24歳
Goldey-Beacom Collegeに入学。移行できる単位が足りなかったため、学部に入学する。
2001年8月 25歳
Goldey-Beacom College MBA ITコースに編入。また、2003年までSearsでアルバイト。
2003年8月 27歳
Goldey-Beacom College MBA卒業。
2003年10月~2004年4月 28歳
OPT(Optical Training Visa)でAFLAC勤務。
2004年5月~2005年8月 28歳
テネシー州にある日系自動車部品メーカー米国法人で営業職として働く。
2005年7月 29歳
アメリカ独立記念日の休暇で帰国した際に、たまたま東京で開催されていたDISCOキャリアフォーラムに参加。フェアに参加していたアイシン精機株式会社の面接を受ける。
2005年11月 29歳
アイシン精機株式会社に入社。
「行く」ことより「帰ってくる」ことの方が僕にとっては一大イベントでした
理由なく行ってもいいと思う。何かをつかんで帰ってくれば。

MBAを取得し、OPT(オプティカルトレーニングビザでの就労)を経て、海外での勤務経験もある市川さんだが、留学のきっかけは意外にも挫折だった。大学在学中、就職活動の初期段階でいきなりつまずいてしまったという。「やりたい事がわからなかったんです。自己分析やエントリーシートを書く作業をしていて、頑張ってきたことはそれなりに書けるけど、『何がやりたいのかわからない』『自分には売りになるものが何もない』と感じたんです」。市川さんは就職活動を止め、兼ねてから興味のあった留学を決意する。卒業後1年間アルバイトをして留学資金を貯め、平行して留学準備のための英語の勉強をした。

必死に勉強した甲斐あって入学条件をクリア、デラウェア州にあるGoldey-Beacom Collegeへの入学が認められる。最初は、日本で取得した単位を移行するだけでは単位が足りなかったため学部に入学するが、必死に勉強した結果、1年で不足分を補完し、教授からMBAコースへの編入を勧められるまでになった。MBAではITコースを専攻。中でもe-commerceの授業が面白かったそうだ。「グループワークではオンラインで介護サービスを立ち上げるプロジェクトをやりました。デラウェア州は会社法の関係で、法人の設立がしやすいため大手の本社が多い州なんです。そのためMBAのクラスメイトにも現地のビジネスマンが企業派遣で多くいました。僕は社会経験もなければ、英語もネイティブの人についていくのがやっと。裏方にまわって、自分にできることで精一杯協力しました。一流企業のビジネスマンとの共同作業はとても刺激的でした」

しかし、今は刺激的だったと思えるこの経験も、当時は辛い時期だったという。授業や新しい友人とのコミュニケーションを円滑に取れる英語力がなかったのだ。仲良くなれば、英語力がそれほどなくても自分を理解しようと友人が歩み寄ってくれるが、ビジネスの現場となるとそうもいかない。「とにかく、話す機会がある環境でアルバイトをしたい」。そんな想いで、授業のない日中に現地の大手百貨店のSearsで接客のアルバイトを始める。

「運が良かったんです。そこでバイトをしていた友人が人事のマネージャーを紹介してくれたんです。普通、僕くらいの英語力では雇うメリットがない。面接でも、相手の説明がわからないような素振りを見せないよう必死でした(笑)」。その結果、スポーツ用品コーナーで完全歩合制で働くことになった。「お客様とのやりとりでは授業で使わないような単語や言い回しも覚え、英語力も確実に上がりました。またバイト先で知り合う人は、大学では出会えないような色々な家庭環境の人もいました。新しい友達もできて新鮮でした」。最初は英語力に自信がなく、お客様からの電話をとるのが怖かったという市川さんだが、日頃から職場の人とのコミュニケーションを積極的にとることを意識していたそうだ。結果的に、困ったことがあっても周囲に助けられ、着実に仕事も英語も覚えていけたそうだ。

Searsでの経験は、授業での英語のコミュニケーションにも活かされたが、卒業後のAFLAC(American Family Life Assurance Company)でのOPTでも非常に役に立ったという。ここでは、保険の資格を取得した後に、法人営業職として約半年勤務した。研修を受けた後、様々な企業の人事の窓口担当者あてに飛び込みで営業をかける。母国語でも飛込みで営業することは度胸がいるが、英語での営業経験はかなり度胸がついたという。「決裁権を持っている人と会うので、会話もビジネスや経済の話をする必要に迫られました。よい経験になったと思います」

 

OPTが終了する時点で、現地で就職するか、帰国して日本で就職するのかで迷いがあったそうだ。「留学して卒業するまでは誰でもできる。けれど、自分は留学で何かを身につけることができたのだろうか」。そう自問自答すると、日本を発つ時の「自分は何も持っていない」という気持ちがまた甦ってきた。

そんな時に、現地で登録しておいた人材紹介会社から、H-1ビザ(就労ビザ)のサポートをしてくれる企業を紹介される。テネシー州にある日系の自動車部品メーカーで、従業員120名のうち日本人は6名のみ。ここでは日本語ができることも採用の条件だった。日本人が少なかったので、ここでは営業経験30年の日本人の社長から直属で指示を受けての仕事することが多かった。学ぶことは多かったが、仕事にも慣れ始めた頃、帰国後の将来のことがふと頭をよぎった。「H-1ビザでアメリカに滞在できるのは更新を含めて最長6年。35歳になって帰国した時、自分にはどんな評価がつくのだろうか?日本で就職できるところがあるのだろうか?」。そんな漠然とした不安を抱えていた矢先、休暇で帰国した時にたまたま開催されていたDISCO社の『東京キャリアフォーラム』に参加し、運命の出会いを果たす。

帰国の前日に、アメリカ留学中の友人から東京でのキャリアフォーラム開催の話を聞き、インターネットで情報を確認する。「そのときは転職なんてまったく考えていませんでした。ただ、『自分はどう評価されるのか』を確認したかったんです」。日本に着いてから、目当ての企業向けの職務経歴書と写真を用意し、フォーラムに参加。自分のキャリアが活かせそうな自動車関連の2社と面談する。そのうちの1社がアイシン精機株式会社だった。

「とにかく、評価してくれたのが嬉しかったんです。転職するつもりで面接していたわけではないので、アルバイトから始まり、AFLACでの営業や当時担当していた仕事の話など、これまでやってきたことを気負わずに話せたんだと思います」。アメリカに戻った市川さんは日本に戻る決意をし、8月後半には退職して日本に帰国する。「自分の居場所が日本にもあることがわかったんです。動くなら染まっていない『今』だと思ったんです」

アメリカでの5年の経験を携えて11月からアイシン精機株式会社で勤務する市川さんに、留学生へのメッセージを伺った。「よく、『目的を持って留学すべき』というけれど、理由がなくても行っていいと思うんです。その代わり『何かを見つけてくるまで帰れないつもり』で頑張る必要はあると思います」



キャリアカウンセラーが分析

  市川さんに初めてお会いしたのはアイシン精機株式会社に入社される直前の忙しい時期。留学ジャーナルのスタッフ向けに留学生活のご報告をいただいた時でした。ホワイトボードを使いながら堂々とお話する姿は、留学でプレゼンテーションの経験を積んで、さすがに慣れていらっしゃる印象を受けました。現地での体験談の中でご本人は『運が良かった』とおっしゃっていましたが、自らの協調性を持って周囲の協力が得られ、運をつかんでいかれる人柄なのだろうと感じました。また、取材の中で転機の場面を振り返る時、無意識に『何かをつかむまでは』というニュアンスの言葉を繰り返し使われていました。とても爽やかな印象の市川さんですが、この言葉に覚悟に裏打ちされた貪欲さを感じました。留学を決めた時から根底にある想いが、『行動力』の引き金になったのでしょう。英語に自信がなくても『話す機会』を持つために友人に働きかけてフルコミッションの接客のアルバイトをしたり、現地でのH-1ビザをサポートしてくれる企業がでてきた際も、手続き自体は現地で弁護士を探して自分で行っています。

市川さんが捜し続けていた『何か』は見つかったのでしょうか?それは今後の抱負を伺った際に市川さんがおっしゃっていた言葉の中に答えがあるようです。「これから仕事や人生の中で、困難なこともあるかもしれませんが、留学中にへこんだこと、悔しかったことなどを通して『免疫力』がついた気がします。それらをどう乗り越えていくのか考えていく力、『生命力』が知らず知らずのうちに身についた気がします」。市川さんはこの留学で、今後、どんな環境でも強みになる『免疫力』『生命力』という強力な武器を身につけられたようです。

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