留学成功の秘訣

大学留学体験者のケース

今月の成功者

-- Photo -- 飯高和也さん(24歳)外資系コンサルティング会社内定

留学を決意した時点で法政大学経済学部を中退。1年半アルバイトして留学費用を貯め、2004年1月にUniversity of Central Oklahomaに編入。経営学部経営学科で学ぶ。05年12月、就職活動のために1学期を休んで帰国。もともと強く志望していたコンサルティング業界を中心に13社を受け、4社から内定を獲得。そのなかでも、グローバルな仕事ができること、システム関係のコンサルティングができることが決め手となり、外資系コンサルティング会社の内定を受ける。卒業予定は06年12月。
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成功のポイント 1.きちんと計画を立て、強い意志で目標に向かった2.アメリカの大学は一時休学して、就活に集中した3.面接では落ち着いてコミュニケーションができた
 
飯高さんのステップアップ

2002年9月 20歳
「このまま日本で大学生活を送っていたら、何もできない大人になってしまう」と留学を決意。大学を中退して、アルバイトで留学費用を貯めることにする。最初の2ヵ月でTOEFL を取り、残りの1年半はアルバイトに集中。目標額は300万円。
2004年1月 22歳
University of Central Oklahomaに留学。この大学に決めた理由は「学費が安かったことと、しっかり勉強できる環境だったこと」。最初の半年間は寮住まい。留学の目標は、英語を修得してマネジメントを学ぶこと。
2005年10月 23歳
大学で勉強しながら、就職のための情報収集。就職サイトに登録したり、アマゾンドットコムで『コンサルティング業界の本』などを購入したりしながら業界研究。
2005年12月 23歳
就活のために1学期を休んで帰国。「3月までに就活をして、残りは学費を貯めるためにアルバイトをする」と決めて説明会に参加。同じ頃、遅まきながら自己分析も始める。
2006年3月 24歳
面接が集中するなか、「自分がホントにやりたいことはIT系のコンサルティングだ」と明確になる。3月半ばに初の内定。3月末までに4社の内定を獲得し、最終的に外資系コンサルティング会社に決める。
2006年8月 24歳
就活を終えた4月からアメリカに戻る8月までは、「足りなくなった学費」を稼ぐために短期集中のアルバイト。卒業は12月。入社日を選べるシステムなので、新卒で入社するのは来年6月頃の予定。
一度決めたことは最後までやり通す!妥協をしないガンコさを留学中も就活でも貫き通しました
目標がしっかり見えているから、努力ができるんだと思う

「目標に向かって努力する自分が好きなんです。逆を言えば、目標がないと努力はできないタイプ。成功したときの自分をイメージして頑張っているときは充実しています」。飯高さんは、自分の未来を自分でしっかり描ける人。留学の決意もハンパなものではなかった。「日本の大学にいたんだけれど、アルバイトと遊びしかしてなくて、このまま社会に出たら何も誇るものがないと思ったんです。それまで、あまり苦労をせずに“中の上”の人生を生きてきたけど(笑)、この先もそこそこの人生になるなんてゴメンだと思った。今のうちに見聞を広めて、自分の“人間力”を高めたいと思ったんです」

留学を決意した直後、親に直談判をして大学を中退。自分で学費を貯めてから留学することにした。「編入という形を取れば、新卒で就職活動ができる。でも、新卒で通用する年齢を考えると、24歳では就職したい。それに間に合うように留学するには、1年半で300万円貯める必要があったんです」。クレジットカードの会員募集などのアルバイトを始めたが、飯高さんはすぐにトップの成績を修め、関東エリアのまとめ役を務めるまでになった。そして1年半で目標額より多い350万円を貯めたのだ。

留学先は、カウセリングを受けながら「とにかく安くて、勉強できる環境が整っているところ」を探した。「場所はどこでも良かったんです。留学前から経営=マネジメントに興味があったので、英語を修得すること、そしてマネジメントを勉強することを自分の目標にしました」

2004年1月に、University of Central Oklahomaに留学。飯高さんにとっては初の海外だった。「受験英語しかやっていなかったから、話せない、聞けないのは覚悟していました。でも、ホントにダメだった。オクラホマについた最初の日は悲しくて、淋しくてしょうがなかった。お腹が空いて、喉もカラカラなのに、何をどうすればいいのかもわからなくて。でも、夜中、眠れないままホテルの部屋を出たら、目の前に自販機があったんです。やっと買った水とスニッカーズ、今でもあの味は覚えています(笑)」

右も左もわからない留学生活。心細い彼の支えになってくれたのが、寮のルームメイトのリチャード。ナイジェリア人で、英語はペラペラだ。「彼に『毎晩1時間でいいから、自分とディスカッションしてほしい』ってお願いしたんです。彼は笑顔で『いいよ』と言ってくれて・・・。今でも目を閉じて思い出すのは、リチャードと過ごしたひとときですね」

 

もちろん、彼自身も努力をした。毎晩夜中の3時、4時まで勉強したし、日本人とだけつるむようなことはしなかった。そして、印象深いのがアメリカン・ヒストリーの授業。アメリカ人でも単位を落とすと言われているほど難しい内容だった。「僕、何も知らないで取っちゃったんですよね。ただでさえ英語がちんぷんかんぷんだから、小テストでも25点中3点しか取れなくて(笑)。先生から呼び出されて『キミには無理だ』と言われたんです。でも、僕はここが分岐点だと思った。ここから逃げると僕は一生、安易な道を進んでしまう。だから『頑張るから、やらせてください』とお願いしたんです。そしたら、認めてくれたんですよね。しかも、授業で『飯高は英語が話せないけれど、このクラスで一生懸命やっていくと言うから、みんなも応援してやってくれ』と言ってくれて・・・。ホントに涙が出るほどうれしかったんです」。そうやって彼は少しずつ英語に、そして留学生活に馴染んでいったのだ。

就職活動を始めたのは2005年10月。リクナビなどの就職サイトに登録して、アマゾンで就職本を購入し、情報を集めた。そして、1学期を休学して、「3月までに就職を決める」ことを目標に帰国した。「第一志望はコンサルティング業界。でも、調べていくうちに、僕には戦略系よりIT系のほうが合っているとわかって、IT関係の企業も受けました。ただ、実際に動いてみないとわからないことも多かったですね。事前に得ていた就活に関する情報と、実際に動いてみたのとでは、いろいろなことが違っていた。瑣末なことでいえば、スーツのボタンの一番上は外すなんてことも、みんなのファッションを見て知った(笑)。留学生が一番苦労するのは“ナマの情報”が少ないことだと思います」

面接では自分がやってきたこと、感じたこと、得たことを素直にぶつけた。「面接は得意だったんです。緊張することもなく、落ち着いて普通にコミュニケーションできた。たぶん、アルバイトで年輩の方と話す機会が多かったから、知らず知らずのうちに鍛えられていたんじゃないかと。また、留学経験は特別なことだと思ってなかったから、ことさらアピールはしませんでした。もちろん留学は少なからず自分の人間力を高める経験のひとつではあったから、それをアピールする具体例として話すことはありましたが・・・」。外資系は選考が早い。1月に説明会、2、3月には筆記、面接とトントン拍子に進んで、3月末に就活を終えた。

最後に、留学しながら新卒として就職活動をした彼から、貴重なアドバイスをいただいた。「留学が特別な経験だと勘違いしないこと。大切なのはそこで何を感じたか、何を得たか、それがこの先の自分にどう活かせるのかという点だと思います。また、留学前にしっかりと計画を立てること。留学生は卒業のタイミングもあるから、いつ卒業なのか、いつ入社できるのか、そういう部分はきちんとしておくべきです。僕は学校を休学して就活をしましたが、すごく良かったと思ってるんです。時間にゆとりもできるので、『自分も企業を選ぶんだ』という気持ちで、就活に挑めましたから」



キャリアカウンセラーが分析

  例年、外資系金融企業界やコンサルティング業界は、採用スケジュールが他業界に比べて早く設定されています。これらの業界は人気・難易度ともに高いので、早い段階から準備や研究をしていないと、内定を獲得するのは非常に難しいと言えます。それらの企業数社から早々に内定を獲得した飯高さんの就職成功のポイントは、何と言っても計画性と、強い意志による実行・実現力と言えるでしょう。

飯高さんは、大学2年の前期(20歳)に日本の大学を中退した時点で、『24歳までに新卒扱いで就職するためには・・・』と逆算して、計画を立てています。留学前に長期的なスケジュールがきちんと定まっていたからこそ、就職への不安を抱くことなく、留学期間を有意義に過ごせたのでしょう。また、日本の大学生の採用スケジュールにあわせて休学して一時帰国し、集中して就職活動したことも、選択肢を広げられた点だと言えます。これは、計画の時点で企業側の採用スケジュールをきちんと把握できていたことが大きいでしょう。

また飯高さんは「面接は得意なんですよ」と笑顔をおっしゃっていました。ここで評価されたポイントは2つあります。

1つ目は、「面接」=「コミュニケーション」と捉えるとわかりやすいでしょう。面接というのは、人によって得手不得手がありますし、初対面の人と話すのは少なからず緊張するものです。飯高さんも、日頃から人見知りをしないのかというとそうではないとのこと。つまり、飯高さんは、「面接」が得意というよりも「コミュニケーション」が得意(=大切にしている)ということなのではないでしょうか。これは、就職活動のマニュアルにあるようなテクニックではなく、これまでのアルバイトや留学生活を通して磨いてきた感受性の賜物と言えます。多くの人に接する中で、年代も国籍も異なる人たちを理解しようとする姿勢が洞察力を高めたのでしょう。また、理解してもらうために言葉や態度で表現し続けてきたことによる自信が、「面接は得意」という言葉に繋がっているのかもしれません。それは、奢りではなく、小さなことでも自ら目標を設定してクリアし、達成感を積み上げてきたからこそ出てくる言葉なのでしょう。記事には書かれていませんが、飯高さんは小学生の頃から高校卒業まで、ずっと野球を続けていたそうです。そこで得た達成感を、留学や就職活動にも無意識のうちに求め、得てきたのかもしれません。

面接(=コミュニケーション)で、もう1つ評価されたポイントは『論理性』と言えます。飯高さんは、「留学して、アメリカで生活する事で『理由』を考える習慣がついた」とおっしゃっていました。日本にいた頃は、友達同志では何となくわかった気で話をしていたりすることが多かったそうです。それは当然かもしれません。しかし、異国の地で理解をしてもらうためには、『理由』をきちんと伝えて納得してもらう必要があります。また、アメリカという文化や英語の文法的な構成が、『結論』や『理由』を明確にするスタイルであることも、論理性を鍛える上での習慣に大いに役立ったのかもしれません。

今後もコンサルタントとしてINPUTとOUTPUTを繰り返しながら、成長し続けていかれることと思います。いつか、アメリカで出逢ったリチャードをはじめとした世界の友人たちと仕事をする日が来るかもしれませんね。

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