留学成功の秘訣
大坪さんの家庭では、大坪さんが中学の頃にホストファミリーとして外国人の学生を受け入れていたり、家族旅行でアジアに行ったりと、『海外』に触れる機会は少なくなかったという。しかし、海外に強い関心を持つようになったのは、高校2年生の時の、家族でのアメリカ旅行がきっかけだそうだ。「ケネディ宇宙センターで、本物のスペースシャトルを間近で見上げたんですよ。ちょうど、打ち上げの直前でニュースにもなっていたから、これが宇宙に飛び立っていく本物かって、すごく興奮しました。ものすごくでかいんですよ。ツアーバスの中で英語の解説が流れていて、父親に訳してもらいながら聞いたのを覚えています。そのでかいロケットを格納庫から運ぶのに、1時間に何センチという緻密な作業をするらしいんですが、その下に敷かれている砂も、どこか、決まった場所の砂じゃないとダメらしくて、そんな話にも、ものすごくワクワクしました」。アメリカでは、レディーファーストの文化や料理の量にも驚いたと言う。大坪さんにとって初めてのアメリカは、まさにすべてが異文化で、未知の世界。最先端技術のスケール感と、クールでスマートな別世界が与えた衝撃はさぞ大きかったのだろう。 それ以来、大坪さんのアメリカへの想いは募る。大学に入学してからは、夏休みや春休みを利用して短期留学やホームステイのプログラムに参加した。初めて一人で海外に行ったのは大学1年生の夏休み。ホームステイをしながら1ヵ月ほど語学学校に通った。「最初の1週間くらいは戸惑いました。でも、『ちゃんと伝えれば、やってくれるんだ』ってことがわかってからは上手くいきました。初めての留学で得たのはこれが一番大きかったと思います」。その後も、大学提携校のプログラムやホームステイプログラムに参加し、異文化体験を楽しんだ。 しかし、ある時、ふと思ったそうだ。「『あれ?こんなに海外に行っているのに、現地の友人が少ない』って(笑)。これまで僕が参加したのは日本人向けのクラスがほとんどだったんです。行ったことのない場所を訪れて見たり聞いたりしたのはすごくいい経験をしたと思ったけれど、今度は、『英語を』学ぶのではなくて、『英語で』学びたいって思ったんです」。そこで大坪さんが選んだのがUCLAのエクステンションプログラムだ。「会計学のコースを取りました。いろんな国籍のクラスメイトと英語で授業を受けたり、プレゼンをしたり、大変だったけれど達成感がありました」。寮に滞在したことで、授業だけでは図れないコミュニケーションをとることもできた。それぞれの国の習慣や価値観の違いに気づく機会にもなり、これは後の海外勤務に役立ったという。 帰国後、日本では就職活動の時期。理系の大坪さんは、大学院への進学を考えていた。アメリカにこだわっている大坪さんは、『進学するならアメリカの大学院』と決めていたそうだ。「ただ、海外の大学院の入学試験は4年生の12月だったんですよ。日本の就職活動は3年生の秋からスタートしているから、進学するにしても、一応、就職活動はしておこうと思って、外資系の企業を中心に回っていました。海外に行けないと意味がないと思っていましたから(笑)」。ところが、説明会や面接で海外勤務の可能性を聞いてみると「偉くならないと行けないよ」という答えが。「じゃあ、行けるのはどこだろう?って、考え直しました。僕は『新しいもの好き』で、当時も携帯電話関連の会社が新しい機能やコンテンツをたくさんリリースしていたから、それに興味があったんです。『海外』+『好きなもの(新しいもの)』で考えた時に、国外に拠点のある携帯会社はどこだろうと考えだしました」
『新しいものが好き』だと言う大坪さん。実は、学生時代に自ら新しいサービスを作った実績がある。「大学2年の時に、『ショッピングモールの検索サイト』を作ったんです。当時はまだウェブサイトを作れる人も少なかった時代だから、ウェブサイトの作成代行とかでもちょっとしたお小遣い稼ぎになったんですよ。検索サイトの方は、今は閉鎖しちゃっていますが、アフェリエイトにしたら、毎月50万か60万円くらいにはなったんです。そのお金で留学しました」。その他にも、契約書の翻訳(下訳)のバイトや、携帯電話のコンテンツを学生で企画するバイトもやっていたそうだ。就職活動の時には、留学で得られた経験や、これらの経験を応募企業に合わせてアピールした。 大学院に進学せずにKDDIに決めたのは、『入社3年目くらいで海外勤務の可能性がある』と聞いたからだそうだ。「内定をもらって、3年目で海外勤務できる可能性があるのなら、2年大学院に行かなくてもいいかな、と。後は、KDDIの人事の人が名前をよく覚えていてくれて、すごく感じがよかったんですよ。外資系はドライな感じがしましたね(笑)」 ただ、就職活動の時に海外勤務の可能性を提示されたからといって、確実に行けるとは限らないだろう。では、どうやって念願の海外勤務の夢を叶えたのだろうか?「ずっと、海外に行きたいって周囲に言っていました。パソコンのスクリーンセーバーも海外の写真とかにして(笑)」。笑いながらそう答えてくれたが、もちろんそれだけではない。「学生時代にサイトを作ったりした経験は、よい経験にはなりましたが、『一人でできることには限界がある』と感じたんです。だから大きな会社に入ろうと。でも、元来、黙々と何かに集中してしまう方だから、入社1年目は組織で仕事をすることに苦労したこともありました。でも、理系気質なんでしょうか、『分析グセ』があるんです(笑)。上手くいかないなと思ったら、何がいけないのか考える。で、やってみる。コミュニケーション力をアップするためにコーチングを受講して、現場で実践してみたり。これは、すごくよかったです」。実際には海外勤務の希望者の募集があった時に、応募して試験を受けたそうだが、もちろん周囲の理解は必要だ。3年後の海外勤務の希望を常に頭におきながら、日々の仕事も楽しんでいる姿勢が評価されたようだ。 1年間のロンドン勤務を経て帰国し、現在は主に国内の外資系企業を担当している大坪さんにメッセージをいただいた。「とにかく、やりたいことをやるってことでしょうか。言うのとやるのは違う。行動して五感で感じることが大事だと思います。そして、どう感じたか、それを踏まえてまた行動に移すことも」 やりたいことを着実に実現している大坪さん。『新しいサービスを作り、自ら海外に売る』という夢を実現する日も近いだろう。
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