留学成功の秘訣

語学留学体験者のケース

今月の成功者

-- Photo -- 細川麗奈さん(30歳) 外資系IT関連企業勤務

大学卒業後、約6年間、日系のIT関連企業に勤めていた細川さん。「仕事の上でさらに成長するには、英語力が不可欠」と考え、本格的な英語学習をスタート。そして確実な自信をつけるため、退職して1ヵ月の語学留学へと旅立った。帰国後は大手外資系IT関連企業に就職が決まり、日々のメールや社内会議を英語でこなしているという。「元々英語が得意だったわけではないので、あの留学がなかったら、今の自分はないと思います」と語る細川さんに、1ヵ月の語学留学を成功させる方法を伺った。
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成功のポイント
 
細川麗奈さんのステップアップ

2001年3月
関西大学総合情報学部総合情報学科卒業、IT関連企業に就職
2006年10月
Google日本法人社長の講演に感銘を受け、英語学習再開を決意
2006年12月
アメリカ・ボストンを一人旅。自分のキャリアを整理して考える
2007年2月
英会話スクールに通い始める
2007年5月
退社、留学ジャーナルに相談に訪れる
2007年7月
コンバース・インターナショナル・スクール・オブ・ランゲージ、サンフランシスコ校に入学
2007年8月
1ヵ月の語学留学を終えて帰国。就職活動スタート
2007年10月
外資系IT関連企業での勤務開始
「1ヶ月の留学がなかったら、今の外資系IT企業での仕事はなかったと思います」
「『Reina、あなた今、1時間ずっと英語で話し続けていたんですよ! 信じられない!』と、帰国後に英会話学校の先生が驚いていました」

大学では「総合情報学科」に在籍、「英語はあまり勉強しなかった」という細川さん。インターネット上でのサービスに関連した仕事を希望し、卒業後はIT関連企業に就職。最初は営業担当で、特に仕事で英語が必要とされるわけではなかった。ところが、細川さんの在職中に会社は急成長を遂げ、アメリカから来たゲストに日本を案内したり、プライベートでも海外の方々との交流が増えていった。「日本のITの現状を知りたい」と、知人から社外の外国人との交流会に呼ばれることが増えていったのだそうだ。

「あるとき、自分で興味を持って行った講演会で、Google日本法人の村上憲郎社長のお話を聞いたんです。『日本人は、日本語鎖国の時代はもうとっくに終わっていることに、そろそろ気づくべきだ』という言葉を聞いて、ハッとしました。世界的に見て、『英語ができない』などと言っている場合ではないという状況であること、そして英語が話せれば、いかに自分の世界が広がるかということに、あらためて気づきました」。普段から講演会や勉強会に積極的に参加し、「社外同期」を作ることに努めていたという細川さんには、海外と取引のある仕事をしている知人も多く、Google日本法人社長の言葉は、大きな重みをもって響いた。

その講演を聞いたのが、2006年10月のこと。その年の暮れにアメリカのボストンへ一人旅に出ると、自分がこれまでしてきた仕事、これからやりたいと考えていることをじっくりと整理し、「やはり本格的に英語を勉強し、いつか留学しよう」という決意を固めた。「ボストン美術館には日本庭園があるんですが、そこに笹の葉があり、七夕のように短冊がつるせるんです。そこで、I will be able to speak English.(英語が話せるようになろう)と誓って帰ってきたんです。年が明けて2月から、会社の近くのマンツーマンの英会話学校に通い始めました」。

大学を出てからほぼ6年ぶりの英語学習再開で、「最初は単語が出るか出ないか」というレベル。まずはセンテンスで話せるようになることを目標とした。「習い始めは集中的に勉強しないと、すぐ忘れてしまう」というアドバイスを友人からもらい、1日1時間、必ず通うようにしたという。「普段は会社帰り、それがダメなら休み時間を利用してと、とにかく毎日授業に出ていました」。

数カ月通い、?, please.ではなくI would like to ?(?したいんですが)などと、ある程度英語らしい話し方ができるようになったところで、念願だった留学を実現させようと、会社を退職。留学ジャーナルへ相談に訪れた。「会社にそのままとどまってできることと、外の世界に出てできることを、じっくり検討した後だったので、辞めることに迷いはありませんでした。その後の仕事についてまったく不安がなかったわけではないのですが、日本のITの成長時代を現場で体験してきたので、使える知識は多いはずだという思いはありました」。

行き先はアメリカで、少人数授業のスクールに絞って探したところ、最終的にコンバース・インターナショナル・スクール・オブ・ランゲージ、サンフランシスコ校に決まった。「以前に旅行したときに気候がとてもいいと思ったのと、なんといってもアメリカのITの中心地であるシリコンバレーの近くなので。やはり憧れがありました」。退職してから1ヵ月半後に出発。自分の将来についてじっくり考えてきた後だっただけに、いったん行動を起こすと、事は早かった。「7月に友達の結婚式があって、8月に自分の30歳の誕生日があったので、その間に行って帰ってきたい、と思ったんです(笑)」。

 

語学学校は、1クラスが8人。日本人のほか韓国、イタリア、スペイン、トルコなどさまざまな国の生徒がいて、それぞれ年齢や職業も異なった。「ブラジルから私と同じくらいの年齢の女性弁護士が来ていたのですが、すごく堂々とした感じで驚きました。ヨーロッパの学校の先生もいて、『2ヵ月間の休暇を利用して来た』というのにも驚きましたが(笑)」。クラス内では基本的に英語のレベルは同じだが、得意とするところに大きな違いがあることにも気づいた。「ヨーロッパの人は、言葉が自分の国と似ているからか、細かいところで間違っていてもかまわずに、どんどんしゃべりまくるんです。一方、日本人や韓国人は、文法はよく知っているんですが、話すのはあまり上手ではないんですね」。

「自分は、文法はある程度できている」と気づいた細川さんは、現地で「もっと話して、話して、話して」という心がけを実践した。「地元のお店の人はとてもフレンドリーで、『日本から来た』というと、『僕も行ってみたい』なんて言ってくれたりしました。駅の券売機が壊れていて切符もお金も出てこなくなってしまった際、駅員さんに事情を説明してお金を返してもらったときには、自分でも『あ、成長した!』と思いましたね」。

留学中は、ホームステイで一人暮らしの年配の女性の家に滞在。週末は孫が訪ねてきて、一緒に遊ぶこともあったという。「家に帰ると、ホストマザーにその日にあったことを聞かれるので、家に帰る前に学校での宿題と一緒にあらかじめ自分でノートに整理しておくようにしたんです。そうしたら、ホストマザーとの話がずいぶんはずみました」。

また、出発前に友人たちから、アメリカにいる知人を紹介してもらい、サンフランシスコ周辺にいる人たちを訪ねて行ったりした。そこで見聞きしたことも、大変ためになったという。「シリコンバレーで起業した日本人を訪ねていって、建物の中に入ることもできたんです。そのときはさすがに感激しました」。

1ヵ月の留学を終えて帰国、英会話学校の授業で留学の報告をすると、「『すごい!Reina、あなたは今、1時間の授業の間、ずっと英語で話し続けていたんですよ!信じられない!』と、先生が驚いていました。行く前はテキストでロールプレイをするくらいで、そんなに自分から話すという感じではなかったんです」。

「前職のITの知識を生かしつつ、今度は英語を使う仕事を」と思っていたところ、ちょうど外資系IT関連企業に勤める知人から、「新しいセクションで空きがあるが、応募してみないか」という誘いを受けた。「アパレル関係のEコマースを扱う部署で、前の会社でもアパレルの販売に携わった経験があったことから、とても興味をひかれました。ただし、仕事には英語が必須。留学前の私だったら、自信がなくて断ってしまっていたかもしれません。でも、面接のときに、留学中の経験を話しつつ、『英語は今は得意ではないけれど、もっと学びたいと思っています』と言ってみたら、面接官の方が『それが一番大切なことです』と言ってくださったんです」。

6人の面接官と順々に会うという厳しい審査を終え、無事に採用が決定。帰国してから2ヵ月弱で、新しい職場での生活がスタートした。「会社では、メールや資料、報告書は英語で、ミーティングも3分の1以上は英語。思った以上に英語を使う職場です。周りは帰国子女や留学経験者ばかり。私はまだまだ流暢にやりとりできるというところまで行きませんが、海外の人と会っても物おじせず、簡単な言葉でコミュニケーションが取れるようになったのは、やはり留学の成果ではないかと思っています」。



キャリアカウンセラーが分析

  「留学するために会社を辞める」??。20代後半で今後のキャリアを模索し、迷ったり不安に感じる方は多いと思います。細川さんも転機での選択に多少の不安は感じたものの、「これまで動けば必要な情報をくれる人に出逢ってきたから、きっと今度も留学したら更にプラスになるはず!」と楽観的に考えていたと言います。

新卒で入社した際に同期が3人だけだったこともあり、2年目から社外の勉強会や講演会に積極的に参加していた細川さん。彼女の『社外同期』という言葉が印象的でした。本来の『ネットワーク』『人脈』というのは、信頼関係の上に成り立つもので名刺の枚数を増やすために異業種交流会に出席すればよいというものではありません。『同期』という言葉には、『同じ目標や志をもって、利害関係抜きにして支えあう関係』という響きを感じます。こうして20代前半から、社内外の多くの方と信頼関係を築いてきたので、これまでの経験値として、現状を変えることに対して不安よりも期待の方が大きかったのかもしれません。

留学中、細川さんはITの聖地とも言われるシリコンバレーや、サンフランシスコで働いている人にも、週末を利用して積極的に会ったそうです。年齢の枠を超えた社内外の同期に出発前から声をかけ、留学先で会ってもらえそうな人を紹介してもらっていたそうです。

短期間の留学では、日本にいるうちからできるだけ英語を勉強して現地で自分の英語力を試すつもりで臨むことはもちろん、日本にいたら会えない人と出逢う機会を積極的に作るなど、限られた期間をいかに主体的に活用できるかが成功のポイントといえます。

これらのエピソードは、現在の会社に就職する際に面接で評価されたわけではありませんが、細川さんのこれまでの信頼関係の築き方の一つの側面を現しているといえます。また、こうした出逢いを通じて友好的な関係を増やせたことは、視野を拡げて今後のキャリアを長期的に見渡せるきっかけになったに違いありません。

帰国後の就職については、現地での刺激を元に、自分の中でやっていきたいことが明確になっていったようです。「ホームステイ先に、今勤めている会社の空き箱があったんです。ホストマザーはパソコンも使えないような年配の方だったんですが、きっとプレゼントとして贈られたのだと思います。そこまでEコマースが人々の生活に身近に浸透していることや、日本でもよく目にするその会社のロゴやサービスが世界中に認知されていることに改めて興味を持ったんです」。この会社のことは、在職中から同業ということもあり研究したりしたことはあったそうですが、アメリカに本社を構えるこの企業の世界展開を肌で感じ、自分がやってきたことを発展させ「Eコマースのスペシャリストになりたい」という気持ちが明確になったと言います。

帰国後、Eコマースについて勉強したいと思っていたとき、知人がその会社にいることを思い出してコンタクトを取るとちょうど採用を行っているという情報を得たそうです。ここでも自分から働きかけたことで貴重な情報を得ることができたようです。「この1ヵ月の留学がなければ、いくら業務の経験が活かせても外資系の企業に応募することへの度胸はなかったと思います(笑)」とおっしゃっていましたが、留学を通じて、英語が『コミュニケーションのツール』であることを体感し、現状の自分でできることと、今後やりたいことが確固としたものになったからこそ面接でもまっすぐに気持ちを伝えることができたのでしょう。

細川さんにとって、この1ヵ月の留学も今の会社での業務も、これから続いていく転機とチャンスのきっかけに過ぎないのかもしれません。日本を出て、自分の目で海外を体験し感じること。海外から日本を見ること。視野を拡げ、『国外の同期』とのつながりを持てた細川さんの今後のご活躍が楽しみです。

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