留学成功の秘訣

専門留学体験者のケース

今月の成功者

-- Photo -- 本吉郁佳さん(21) 児童英語教師

高校時代に、ホテルでの仕事に興味を持つようになった本吉郁佳さん。「英語を流暢に話して接客できるようになりたい」。そんな想いから、卒業後の進路を、オーストラリアへの留学と決める。ホスピタリティに関する教育が充実しているグリフィス大学への進学準備を進めていたが、ふとしたきっかけで英語を教えることのおもしろさに目覚め、留学ジャーナルに相談しながら現地でTESOL(英語教授法)とJ-SHINE(児童英語教師の資格)の専門学校に入ることを決め、資格を取得する。現在、児童英語教師として学んだことを十二分に活かして活躍している本吉さんに成功の秘訣をうかがった。
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成功のポイント 1)留学中にやりたいことを見つけ、行動に移した 2)行動に移したことで、やりたいことに確信が持てた 3)応募の際、実践的に学んだ体験をアピールした
 
本吉郁佳さんのステップアップ

2005年4月
高校3年になると同時に、留学・ホテル業界への就職を考えるようになり、留学ジャーナルでカウンセリングを受ける
2005年7月
夏休みにシドニーを訪問、オーストラリアへの留学を決意する
2006年3月
ブリスベンに渡り、グリフィス大学付属の語学コースで学び始める
2006年6月
語学コースを終え、QIBT(Queensland Institute of Business & Technology)で大学進学(2年生への編入)の準備コースに入る
2008年2月
予備コース修了、グリフィス大学への入学許可を得る
2008年3?5月
専門学校でTESOL(英語教授法)を学び、英語教育のおもしろさに目覚める
2008年6月
児童英語教師養成コース受講、J-SHINEの資格を得る
2008年11月
帰国。就職活動開始
2008年12月
児童英会話スクールで講師として働き始める
「児童英語教師になる!と確信していたので、帰国に迷いはありませんでした」
「内気であまりしゃべらないほうだったんですが、留学をきっかけに性格が明るくなり、友人にビックリされるくらいです(笑)」

英語を駆使してスマートにお客様の相手をする、ホテルのフロント係やコンシェルジュ。テレビなどで見て「私もあんな仕事がしてみたい!」と思った高校生の本吉郁佳さんは、自らの意志で英会話学校に通い始めた。そして、せっかくだから本場で英語を身につけようと、高校3年になると同時に、留学ジャーナルカウンセリングセンターへ。そこで、オーストラリアの大学はホテル勤務に必要なホスピタリティの教育が充実していることを知った。

「一度現地をこの目で見てみようと、夏休みにシドニーに遊びに行ったんです。そのときにとても楽しかったので、これなら住んでも大丈夫、とオーストラリアに留学する決心をしました」。留学への気持ちが固まると、今度は留学ジャーナルで具体的な大学や進路について相談。TOEFLテストの勉強も自主的にしながら、渡航の手続きは順調に進んだ。こうして、高校卒業後、クィーンズランド州ブリスベンにあるグリフィス大学への入学を目指し、まずは、大学付属の語学コースに入学して留学生活をスタートする。

「最初はホームステイをしていたんですが、英語がまったく口から出てこなくて、ほかの人たちがしゃべっているのをただ黙って聞いているだけ。ステイ先の家でも『君は全然しゃべらないね』なんて言われていました」。語学コースに通っているうちに、それが少しずつ変化していった。半年後にホームステイ先を出て韓国人と部屋をシェアするようになる頃には、シェアメイトたちから「英語を教えて」とせがまれるようにまでなる。「教えたときの相手からの反応が嬉しくて、どうやったら、上手く伝わるかを考えることで自分自身の英語力も上がったと思います。元々内気であんまりしゃべらなかったのが、英語を話せるようになってから性格もすごく変わり、日本に帰ってから友達にビックリされたくらいです(笑)。『教えること』の楽しさを知ったのはこの経験がきっかけですね」

語学コースを修了した後は、QIBT(Queensland Institute of Business & Technology)の大学進学のための準備コースに参加、修了すると、グリフィス大学の2年に編入できることになっていた。QIBTの授業にはホテルでの実習もあり、夢に向かって確実に進んでいた本吉さん。しかし、『教えること』への関心が高まっていた本吉さんは、大学編入を前に立ち止まる。「このままホスピタリティを専攻して大学に進んでいいのだろうか?」と。

ホテルの実習や、単位取得のために高級日本食レストランで接客をするのは楽しかったかが、「もっと『教えること』を専門的に学んでみたい」という思いが強くなり、大学への入学時期を延期して、その間に自分の気持ちを確かめるべくTESOL(英語教授法)を学ぶことにした。「そもそも私は、TESOLが何かということさえ知らなかったんです。現地で『英語を教えるための資格になる』と聞き、どんなものか知るために、3ヵ月専門学校に行ってみました」。そして、専門学校のTESOLの授業に参加すると、本吉さんは教えることのおもしろさに夢中になっていった。「模擬授業をする機会があったんですが、『ここではこういう反応が返ってきてほしい』『ここはウケるところだ』などと、頭の中に自然と浮かび、その通りの反応が返ってきたときは本当に楽しかったです。

残りの編入までの期間を利用し、本吉さんはほかの専門学校で、さらに小学校の英語指導者として認定されるJ-SHINEのコースを履修し、資格を取得。子どもに英語を教えるための方法論を学んでいった。「教育実習では、現地の小学校や、学校終了後に子どもを預かる学童保育のクラスで、英語や日本語を教えました。1ヵ月間で資格を取る厳しいコースでしたが、それを修了する頃にはすっかり気持ちが『児童英語教師』のほうに向いていて、これから大学で学ぶより、早く教師として仕事がしたいと思うようになっていました」

 

その時点ではすでに、グリフィス大学への編入資格を得ていたので、あと数年学びさえすれば、大学卒業資格が得られたわけである。周囲からは「今、方向転換するのは、もったいないのでは」という声もあったが、本吉さんの中に迷いはなかった。「日本に帰ってまた新しい生活が始まると思うと、不安もありましたが、期待のほうが大きかったですね。両親は私の意志を理解し『自分のやりたいことをやればいい』と言ってくれました。それはとても励みになりました」

8月にいったん帰国し、留学ジャーナルでキャリアカウンセリングを受け、方向性の確認をした。そして11月に完全に帰国、本格的な就職活動を開始するにあたり、再び留学ジャーナルを訪れ、具体的なアドバイスを受ける。「オーストラリアで、授業の一環として日本食レストランでアルバイトをしたことがありましたが、それ以外にきちんと働いた経験はないし、就職活動といっても何から始めたらいいのかわかりませんでした。カウンセリングで、服装や話し方など一から指導を受けたことで不安が解消できました」

面接では、TESOLやJ-SHINEなど、オーストラリアで得た資格に興味を示す英会話学校が多かった。受け答えや書類の書き方などをしっかり練習していったことも功を奏し、結局、最初に面接を受けに行った学校の一つに、児童英語教師としての就職が決まった。採用の連絡があったのは、帰国して1ヵ月後の、12月のこと。年明けから1ヵ月間の研修があり、その後すぐに一人前の教師としての仕事が始まった。教えるのは幼稚園児から中学3年生までで、現在、担当する生徒は100人以上にのぼる。

「最初はとにかく自分のことをわかってもらおうと、授業の前や後もひたすらしゃべっていました。子どもたちはすぐに打ち解けてくれたんですが、今度は仲良くなりすぎちゃったので、怒るときはもっと厳しくしてみせなければ、と思っているところです(笑)」

授業は学校の作ったカリキュラムに沿って行うが、合間に行うゲームなどは、一人ひとりの教師の工夫のしどころ。本吉さんは今でも、オーストラリアで学んだJ-SHINEのテキストや、実習で行ったゲームからヒントを得たりするそうだ。「教え方だけでなく、子どもと付き合っていくうえで大事なことなど、J-SHINEのコースで学んだことは、今もそのまま活かせますね」

また、会社の一員として仕事をしている以上、ただ教えるだけでなく、特別講座の案内を出したり、報告書類を作ったりといった事務的な仕事や管理業務もこなしていかなければならない。そんな中、生徒が増えることによる喜びも感じられるようになった。「私が教えるようになってから、『授業がおもしろいから』と、サマースクールに参加することを決めた生徒もいるんです。そういうときはやっぱりうれしいですね」

自分よりもずっと年上の保護者たちとの面談も、教師としての仕事の一つ。本吉さん自身のことに話が及び、「先生はどうしていつもそんなに明るくしていられるの?」と聞かれることもあるという。「そんなとき、私も留学前は内気で自分から話ができなかったこと、留学で自分に自信がつくうちに、英語力だけでなく性格も変わっていったことなどを話すんです。そんな私の体験が、生徒たちの英語力向上に少しでも役に立ってくれたらうれしいですね」

キャリアカウンセラーが分析

  体験談の記事にもあるように、本吉さんは当初、英語を話すこともままならないところから留学をスタートし、グリフィス大学で授業を受け理解できる英語力や基礎知識を修得して入学条件をクリアしました。そこに至っての、「大学に進学しない」という選択に、周囲から“もったいない”と声があがるのはご本人も想定していたことと思います。しかし、単に『漠然とした気持ち』で入学を辞めたのではなく、『実際に体験した』ことから決意を固めていったプロセスが、自らの選択への自信となっていたのではないでしょうか。

元々、『ホスピタリティ』を学びたいという志向をお持ちでしたが、『教える仕事』も、“対人感受性”を活かせるという点で共通します。帰国後の就職活動でも、『やりたいこと』と『留学先で実践的に学んできたこと』が明確で一貫性のあった本吉さんのアピールは、応募先に対してもダイレクトに伝わったのだと思います。『経験の効果的な伝え方』に関しては、若干20歳。初めての就職活動に当たり、応募先の企業の研究や、志望動機の添削、服装や面接での表情に至るまで、時に厳しくアドバイスさせていただきました。

ロジカルなコミュニケーションは、学生のうちは慣れていないものですが、これまでの経験を振り返る際にできるだけ数字や具体例を書き出し、書類作成すると、自分自身でも伝えたいことがわかりやすく整理されていきます。一方で、面接の際には「留学中の一番楽しかった経験を思い出して、その顔で臨みましょう」とアドバイスしています。本吉さんには、面接の練習をした際に「現地で教育実習をした際の生徒たちの顔を思い出してみましょう」と言ったのですが、その途端に、とても柔らかな笑顔になりました。きっと、本吉さんを採用した企業も、面接の時に、児童英語教師として子どもたちと接する本吉さんの活躍をイメージできたのだと思います。

留学経験者は、オーストラリアに留学した本吉さんがルームシェアした韓国人の友人と、英語で分かり合えたように、自らが外国人であるという体験を通じ、“世界の共通語である英語”がコミュニケーションの手段であるということを体感します。2011年から、小学校5・6年生で週1回の英語(外国語)活動が必須科目として導入されますが、こうした動きの中で、学校の授業はもちろんのこと、教室の内外を問わず、本吉さんのように、“世界に通じる窓となるような人材”がますます求められるはずです。またその窓から世界を見に飛び出していく人たちが育まれていくのだと思います。

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