私、留学ジャーナルで留学しました。
「英語もどちらかというと苦手科目で、なにも分からなかった私。留学ジャーナルの無料カウンセリングに行って、 短期語学留学を体験。翌年には語学留学し、今は帰国して英語を活かした仕事をしています」 こんな声がたくさん届いています。先輩たちの声を聞いてあなたの成功する留学に役立ててください。
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高校卒業時に、文化の全然違う西洋、特にアメリカに憧れがあり、ニューヨーク州立大学へ留学しました。アメリカ人は日本人とはまったく異なる思考を持っていて、その人たちと付き合うことで、自分の可能性を広げられるのではと考えていました。しかし現実は厳しく、4年間の大学生活が終わった時に、留学前の自分と全然違うスケールの大きな人物になっていたかというと、はなはだ疑問でした。また、留学中に出会った「心理学」を極めてみたくなったことも手伝い、アメリカに残って大学院に行くことを決めました。
アメリカの大学から大学院に進学する場合の難関として、「推薦状」を大学の先生からもらうことが挙げられます。推薦状は3通というのが、たいていの大学院の出願条件のようでした。私は大学の教授の研究を手伝っていたので、なんとか推薦状を3通集めることができました。アメリカの大学院進学を考えている方は、早いうちから推薦状の集め方を考えていた方がいいと思います。
10校以上の大学院を受験し、数校から合格通知を受け取ることができました。その中でテキサス大学オースティン校の指導教官の研究が最もおもしろそうだと思ったのでこの大学院に決め、心理学の中でも子供の発達について勉強しました。
授業はたいていセミナー形式。あらかじめあるトピックに関する論文がいくつか指定されているので、その論文を読んでいき、授業でディスカッションします。1年目の1学期は、「Theory of Human Development」「Research Methods in Human Development and Family Sciences」「Introduction to Statistics」の3クラスを取りましたが、苦労したのはセオリーのクラス。長い論文を毎週いくつも読んでいかなければいけないのは、英語が母国語でない私には厳しかったです。また、ディスカッションもペースがとても速いので、気がついたら3時間の授業のうち、何も言わずに終わっていたなどということがよくありました。さらに1学期に3回提出しなければいけない論文も、大変難しかったです。
苦労話は尽きませんが、大学院では考えすぎたりしたら精神的に参ってしまうので、自分にできないことがあっても深く考え込まないよう心がけました。アメリカの大学院にいるというだけで、すでに他の人には滅多にできない体験をしているのですから、仕事や宿題が終わらなかったからといって嘆くことはありません。たいていの場合、院生は先生との距離も近く、先生方は優しくしてくださいます。本当に、ポジティブに乗り切るというのが一番だと思います。
また、勉強や研究も大事ですが、遊べるときは遊ぶことも重要です。せっかくアメリカにきたのだから、大学のキャンパス外での経験も積まないと成功とは言えないと思います。私は学部のときに勉強しすぎたので、大学院に入ってからは遊びも真剣にやりました。そのため、今振り返ると学部時代より大学院時代の方が良い思い出が多いです。私も含めて日本人は、ついつい真面目に勉強や研究をやりすぎてしまいがちです。そうすると週末も勉強漬けで、アメリカにいるのも嫌いになってしまいます。ですから、土日のせめて1日は外に出かけるなど、ポジティブに生活できれば、素敵な大学院留学になると思います。
大学留学の際、自分に合った学校を紹介していただき、出願の仕方や必要な書類などを丁寧に教えていただいたので、とても心強かった。語学力に関しても、私が行こうとしている学校には、他にも高校を卒業して留学する人がたくさんいるということを伺えて、安心した。
梅村 比丘 さん
大学留学→大学院留学
2001年1月~(大学留学もあわせ、トータルで10年間)
アパート
The University of Texas, Austin
大学留学を決めたのは、海外の人と話をしたり、共同で生活をしたりすることで、いろいろな体験ができるのではと思ったため。また、海外の大学で学んだ方が得るものがたくさんあるのではないかと考えたから。
大学留学の出願時には、願書に何をどのように書いたらよいのかわからなかった。また、現地で実際に英語でコミュニケーションができるのかわからなかったので、不安だった。