私、留学ジャーナルで留学しました。
「英語もどちらかというと苦手科目で、なにも分からなかった私。留学ジャーナルの無料カウンセリングに行って、 短期語学留学を体験。翌年には語学留学し、今は帰国して英語を活かした仕事をしています」 こんな声がたくさん届いています。先輩たちの声を聞いてあなたの成功する留学に役立ててください。
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短大1年の夏に、卒業後の留学を決断。父には大反対され、母からは「本気だということを態度で示すしかないね」と言われました。気持ちを表すために自分で資金を貯めようとアルバイトをかけもちして週7日、ひたすら働く日々。出発直前に父に預金通帳を見せて「留学することを心から認めてほしい」とお願いするも、当日は見送りには来てくれず・・・。しこりを残したままの出発となりました。
渡米してラバーン大学で語学研修を受けた後、グレンデールコミュニティカレッジに入学し、Business Administrationを専攻。アメリカのカレッジは学生の年齢の幅が広く、みんな授業に対して積極的という印象を受けました。Mass Communicationの授業で、校外学習としてLA Timesへ会社訪問に行ったのがとても印象に残っています。会社の歴史など、たくさんのことが学べてとても実り多い時間でした。
入学後にはテニス部に入部したのですが、留学生がアメリカ人のチームに所属することは想像以上に大変でした。部員との英語でのコミュニケーションはもちろん、「文武両道」が当前で、勉強ができない者には部活をする資格はないという考えが一般的です。しかし、語学力というハンディキャップを背負った私がすべてのクラスで単位を取得するのは決して簡単なことではありませんでした。
毎朝5時半からテニスの練習、その後7時から授業、ランチを取って12時から夕方まで再び練習、夕食後には19時から22時まで授業というスケジュールの日々で、今振り返ると我ながらよくやったなぁと。ただひたすら、「日本で応援してくれている両親や友達などに恩返しをしたい!そのためにがんばらなきゃ」という一心でした。
心配だった英語力も、テニス部のメンバーたちとたくさんの時間を過ごすことで自然と磨かれていきました。また、かけがえのない思い出もたくさんできました。
しかし一度、チームの方針のことでコーチと言い合いになって退部届けを出したことがあります。その晩にコーチから電話があり、「君の家に来たから、外に出てきてくれ」と言われて玄関の扉を開けると、そこにはコーチとチームメイト全員の姿が。みんな、わざわざ引き止めに来てくれたのです。私はその日、アメリカに来て初めて泣きました。チームメイトからもらった「生まれた土地も母国語も違うけれど、そんなことは関係ない。私たちは家族なんだよ」という言葉は一生忘れません。「私はこの国にも居場所があるんだ」と実感することができた出来事でした。
結局、退部届けは撤回し、シーズン終了までチームに所属。学校創立以来初めての「南カリフォルニア準優勝」と「カリフォルニア3位 」を獲得し、学内で毎年男女1名ずつに贈られる優秀選手賞もいただくという期待以上の成果を残すことができました。
父からは、留学開始後1年半ほど経ってから時折メールが来るようになりました。留学資金は私の貯金だけでは到底足りるわけもなく、多額な金銭面のサポートは最初からずっと父がしてくれていました。就職活動の際、完全実力主義と言われる厳しい会社への就職を希望していた私の背中を「おまえならどんな会社でもやっていけるから、挑戦してみればいいじゃないか」と押してくれたのもやっぱり父でした。留学を経て、家族、とりわけ父との絆はそれまでになく強くなったと感じています。いつも私を応援してくれる両親へは、これから一生をかけて恩返しをしていきたいと思っています。
そして、希望する会社に就職した今は、まず何よりも仕事をがんばろうと考えています。留学で得たさまざまな力を生かしてキャリアを積み、世界で必要とされる人材になること、その第一歩として5年以内に海外勤務を任されることが私の今の目標です。
大学入学手続きと車の購入時に何度も相談にのってもらった。親身になってアドバイスをいただけたことにとても感謝!
竹内 彩香 さん(20歳)
大学留学
2013年3月~2015年5月(2年2ヵ月)
ホームステイ、シェアアパート
University of La Verne(運営:ELS)、Glendale Community College
日本の短大に在学中、ただ楽しいだけの毎日に疑問を感じて、何か本気でがんばってみたいと思うように。誰も知らない土地で生活して、自分自身を再構築してみたいと考えた。
現地の食べ物が自分に合うか不安だった。