私、留学ジャーナルで留学しました。
「英語もどちらかというと苦手科目で、なにも分からなかった私。留学ジャーナルの無料カウンセリングに行って、 短期語学留学を体験。翌年には語学留学し、今は帰国して英語を活かした仕事をしています」 こんな声がたくさん届いています。先輩たちの声を聞いてあなたの成功する留学に役立ててください。
「英語もどちらかというと苦手科目で、なにも分からなかった私。留学ジャーナルの無料カウンセリングに行って、 短期語学留学を体験。翌年には語学留学し、今は帰国して英語を活かした仕事をしています」 こんな声がたくさん届いています。先輩たちの声を聞いてあなたの成功する留学に役立ててください。
最初はどこの国でも構わないと思っていましたが、「せっかく1年間も英語を学ぶのだから、本場のアメリカ英語を身につけたい」と考えるように。留学したことのある友達からもアドバイスをもらい、少人数制クラスで勉強ができる学校を選びました。
最初に留学したのはセント・ジャイルズのサンフランシスコ校。英語がまったくできない状態で留学をスタートさせたので、最初の1~2ヵ月は授業についていくのが精一杯でした。少しずつ英語に耳が慣れてきたころ、友達もでき始めて、学校に行くことが毎日楽しみになりました。大変なプレゼンやテストがあっても友達と一緒に勉強したり、楽しく取り組めました。また、どの先生も教え方がとても上手なうえに、友達のように接してくれます。生徒同士も仲が良く、みんながお互いのことを知っているので、学校全体がまるでひとつの大家族のようでした。そして、4階のカフェテリアがみんなの憩いの場。お昼を食べたり遊びの予定を立てたり友達とおしゃべりをしたり、このカフェテリアのおかげで学校生活をさらに楽しく過ごせました。
留学中はずっとサンフランシスコで暮らすつもりでしたが、渡航後7ヵ月目にニューヨーク校に移ることにしました。転校を決断した理由は、サンフランシスコで大勢の人に出会ってさまざまな話を聞いていくうちに、さらに新しいことに挑戦してみたいと思ったからです。セント・ジャイルズはニューヨークにも校舎があったため、転校手続きもスムーズに済みました。
ニューヨークに引っ越すころには英語にもずいぶん慣れて、留学当初よりもずいぶん上のクラスに上がっていました。ニューヨーク校での授業では文法や語いの勉強に加えて、英語を話すときにいかに周囲の注意を引いて、周りに聞いてもらうかという方法も学びます。作文やプレゼンもぐっと難易度が上がり、宿題にかかる時間がものすごく増えました。授業中に扱うテーマも、日本ではあまり話すことのない環境問題や政治、宗教、文化、人種などを扱うことが増え、いくら英語ができても自分の考えをしっかり持っていないとコミュニケーションができません。そんな自分の弱みを克服するために、ニュースに毎日目を通したり、いろいろな国の政治や宗教、歴史などを独習したり。その甲斐あって、今では自分から話を切り出し、さまざまな人と意見を交換できるようになりました。
日本にいた頃は中学生レベルの英語にも自信がありませんでした。TOEICも恥ずかしながら350点くらいしか取れなかったと思います。それが、今では自分でも驚くくらいに成長して、テレビも映画も完璧ではないもののだいたい理解できるし、ニュースの内容もわかります。TOEICはまだ受験していませんが、800点を目指しています。
そして、今回の経験は自分の考え方を180度変えてくれました。さまざまな環境で育った人たちに出会って視野が広がり、「万人にとっての正解なんてないんだ」と気づきました。誰かが自分の道を選んだなら、それはその人にとっての正解であり、他の人のことを簡単に否定してはいけないんだと思うようになりました。トルコ人の友達が言ってくれた「人と違うことは恥ずかしいことじゃない。自分の大切な個性だ!」という言葉は今も胸に響いています。これから留学される方も、ぜひ思い切って殻を破って外に出て、世界の広さと寛大さに触れてほしいですね。
せっかく英語を学んできたので、将来はぜひ英語を使う仕事に就きたいと考えています。新しい考え方や築き上げた人脈、すべてを無駄にせず、国際的に活躍していきたいです。
「留学したい!」という気持ちだけだった私のプランニングを、カウンセラーの方がゼロから手伝ってくれた。ご自身の体験談を交えた数々のアドバイスをもらえたからこそ、こんなに素晴らしい留学体験ができているのだと思う。
中山 亜里沙 さん(21歳)
語学留学
2015年9月~2016年7月(10ヵ月)
レジデンス
St Giles, San Francisco、St Giles, New York City
海外旅行の際、言葉の壁を強く感じた。「世界との間の壁をなくすために、言葉の壁を越えたい」と考えるようになり、留学を決めた。
不安は一切なかった。「なんとかなるだろう」とポジティブすぎるくらいの気持ちで臨んだ。