私、留学ジャーナルで留学しました。
「英語もどちらかというと苦手科目で、なにも分からなかった私。留学ジャーナルの無料カウンセリングに行って、 短期語学留学を体験。翌年には語学留学し、今は帰国して英語を活かした仕事をしています」 こんな声がたくさん届いています。先輩たちの声を聞いてあなたの成功する留学に役立ててください。
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今回が生まれて初めての海外体験。最初の3ヵ月は現地での生活に必要な英語力を身につけるために語学学校に通うことにしました。特に楽しかったのは、洋楽の歌詞を読んだり聴いたりして、そこから語いや文法を学んでいくという授業です。エンターテインメント性にあふれていて、楽しく勉強することができました。
ホームステイ先もすばらしく、僕を本当の家族のように扱ってくれました。食事も健康に配慮したメニューでおいしかったです。同時期に滞在していたブラジル人の男の子とも意気投合し、彼を通じて他校の生徒たちとも知り合うことができました。
僕はワーキングホリデーで「日本では到底経験することのできないことがしたい」という思いを抱いていました。それで思い浮かんだのがファームでの仕事。あえて、「オーストラリアで最も過酷なファームジョブ」と言われるバナナファームに応募し、ワーホリ期間のほとんどをその農園で働いて過ごしました。
ファームで働く日本人は自分ひとり。時給は21.5ドルと高額でしたが、噂通りの過酷さでした。僕の英語は周りの外国人たちに比べるとつたなく、地元のオージーたちやイギリス人など、ネイティブスピーカーと英語で意思疎通をするという精神的なしんどさも最初はありました。日本人ということで体も小さく、最初のころはバナナを何回も落として、周りからばかにされ恥をかくことも多かったです。
その悔しさをバネに、「このファームで一番のハンパー(バナナを収穫する人のこと)になる」と心に決め、日本人らしく誰よりもテキパキと全力で働き続けました。仕事に慣れるまで時間はかかりましたが、遂には上司や同僚から「ベストハンパー」と呼ばれるように。認められたことが本当に嬉しく、日本人であることを誇りに思うことができました。
ファーム勤務の間は同僚たちと同じホステルで暮らしていて、全員とても仲が良かったです。毎週末に必ずパーティが開かれ、コスチュームパーティなど、自分たちなりに工夫して盛り上がっていました。ホステルにはさまざまな国の人が暮らしていたので各自が自国の料理を振る舞うチャンスもあり、僕が作ったお寿司や天ぷらも大好評。また、平日の仕事が終わると近くの海沿いでランニングしたり、ジムで筋トレをしたりしていました。
帰国までの1ヵ月間、ケアンズからメルボルンまで東海岸をメインに一人旅をしたことも素晴らしい経験になりました。ひときわ魅力的だったバイロンベイという街の海でサーフィンをしていたときに野生のイルカと出会えたときは本当に感動しました。
英語力は、オーストラリア到着時はひどいものでしたが、語学学校での授業や、何よりもファームでの仕事を通じたネイティブとの交流によって普段の会話には困らないレベルにまでアップすることができました。映画も字幕なしでだいたい理解できるようになり、英語とは無縁だった僕からすればかなり成長したといえると思います。
ワーキングホリデー中は日本では経験できないことを数えきれないほど体験し、毎日ワクワクしていました。これからワーホリを体験される方もとにかく自分の足を動かしまくって、挑戦しまくって、全力で楽しんで、ワクワクを求めて毎日を過ごしてほしいなと思います。
学校情報やビザ、現地で使う携帯について相談できてよかった。
大上 司 さん(22歳)
ワーキングホリデー
2016年3~12月(9ヵ月間)
ホームステイ
新しい環境に飛び込み、新しい人々や体験、文化に出会うことが一番の目的。それを実現できるのがワーキングホリデーだと思い、決心した。
友達作りや仕事などをすべて英語でしなければならない点と、食生活の変化によって体調を崩さないかどうかを心配していた。