私、留学ジャーナルで留学しました。
「英語もどちらかというと苦手科目で、なにも分からなかった私。留学ジャーナルの無料カウンセリングに行って、 短期語学留学を体験。翌年には語学留学し、今は帰国して英語を活かした仕事をしています」 こんな声がたくさん届いています。先輩たちの声を聞いてあなたの成功する留学に役立ててください。
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留学先をアイルランドに決めたのは、治安の良さと気候の良さ、そして日本人が少なさそうだったからです。いったん決めた後、アイルランドについて調べるうちにこの国の文化にも興味がわいてきて、訪れたいという気持ちがどんどん高まりました。
語学学校のクラスメイトはイタリアやブラジル、メキシコから来た20歳前後の人が多かったのですが、スイスやロシア出身の年配の方も短期で参加するなど、年齢層が広くて賑やかでした。初日の授業で突然、先生や政治や社会情勢に関する意見を求めてきたときにはビックリ。ほとんど何も言えずにパニックになりましたが、クラスメイトが「そのうち慣れるよ」と励ましてくれました。また、週に1回、自由なテーマでスピーチの機会を与えてくれる先生がいました。日本文化や、日本とアイルランドの比較、好きな映画などについて自分の意見を言えるのが楽しかったです。
ホストマザー&ファザーは2人とも大学の先生をしていた優しい方々で、私は彼らにとって「生徒」という面もあったかもしれません。たとえば私がアイルランドの歴史に興味があると言うと、食後にホストファザーが資料を使って教えてくれ、説明が終わると笑いながら「今日の授業はここまで」と言って、使った資料をくれました。
私が滞在を始めて1ヵ月経つころにはチリ人のご夫妻も留学生としてこのご家庭でホームステイをすることに。優しくお茶目な方たちで、私が朝食に好んでグラノーラを食べていると「グラノーラさん」とあだ名をつけてきたり、みんな似たような靴下を履いていたので、洗濯後にどれが誰のものかわからなくなってみんなで判別したりして、まるで大家族のようで楽しかったです。
放課後や休日には、学校のアクティビティで観光をするのも楽しかったのですが、放課後に友人とカフェでお互いのことをしゃべるのはそれにも勝る楽しさでした。仲良くなったトルコ人のクラスメイトからイスラム文化について教えてもらったり、お互いの仕事に対する考え方やストレス解消法などを話していると、「国は違うけど、この人、私と同じ価値観だなぁ」と感じたりして、おもしろかったです。
また、歌やダンスが好きなので、週末はアイリッシュダンスを観に行ったり、パブに生演奏を聴きに行ったりしました。アイルランドには古き良きパブがたくさんあって、私はたくさんは飲めませんが、古くて黒光りするようなカウンターやテーブルに座り、ビールを片手に生演奏を聴いていると、とても心が安らぎました。
留学を通じて、国籍を問わずたくさんの人と出会いました。英語が苦手で外国にも興味がなかった頃なら、決して関わることがなかった人たち。そんな人たちが身近になっていく感覚は、とても不思議でおもしろかったです。とても充実した時間が過ごせたのは、人に恵まれたからこそ。
英語のリズムや感覚にもずいぶん慣れることができました。アイルランドで生活したおかげで自然に相手と接することができるようになり、発音やアクセントなど、今後勉強するうえで注意すべき点もわかりました。帰国後、スピーキングやスピーチ力を重視したサークルにも通い始めました。今後は異文化交流のボランティアにも英語力を生かしていきたいと思います。
社会人の方は視野が広いし、「仕事を辞めてまで留学するんだから何かを得なくちゃ」という意気込みが強く、その分、ハングリーにいろいろなものを得られると思います。チャンスのある方はぜひ海外に行って自分の感性でいろいろなものを感じ、さまざまなことを吸収してみてください。
費用や学校選びなど、どんなことにも適切なアドバイスがいただけた。ホストファミリーに送るメールの内容やお土産を渡すタイミングなど、細かい点まで相談に乗ってくれた。
田中 友紀 さん(28歳)
語学留学
2017年6月4日~8月27日(3ヵ月間)
ホームステイ
外国人旅行者の増加や2020年に向けて、今後ますます英語力が必要になると感じた。また、日本ではできない体験がしたい、視野を広げたいという気持ちもあった。
語学力。こつこつ勉強していたつもりだったが、日にちが近づくにつれて急に不安に。私が受けるコースは受講するのに一定以上の語学力が必要だったので余計に心配で、留学の中止も本気で考えたほどだった。飛行機の乗り継ぎも、うまくできるか心配だった。