私、留学ジャーナルで留学しました。
「英語もどちらかというと苦手科目で、なにも分からなかった私。留学ジャーナルの無料カウンセリングに行って、 短期語学留学を体験。翌年には語学留学し、今は帰国して英語を活かした仕事をしています」 こんな声がたくさん届いています。先輩たちの声を聞いてあなたの成功する留学に役立ててください。
「英語もどちらかというと苦手科目で、なにも分からなかった私。留学ジャーナルの無料カウンセリングに行って、 短期語学留学を体験。翌年には語学留学し、今は帰国して英語を活かした仕事をしています」 こんな声がたくさん届いています。先輩たちの声を聞いてあなたの成功する留学に役立ててください。
日本の大学のゼミに2年間しっかり参加したいと考え、交換留学よりも休学留学を選択しました。英語力自体はある程度ついていたため、英語を使って何かを勉強しながら、友達やコネクションをつくることを希望。行き先をオーストラリアに決めた理由は、旅行で何度か訪れた経験があり、「ここに住んでみたらどうなんだろう?」と興味があったからです。時差が少なく、移民が多い国なのでいろいろなバックグラウンドの人と出会えそうなところも魅力でした。
大学の講師は日本の大学の先生と比べてとてもフレンドリー。オーストラリア文化の影響もあるのでしょうが、先生と学生が対等な立場でフランクな関係を築くことができました。大学の授業には講義とチュートリアルがあり、講義は大人数が受講するのですが、少人数制で進められるチュートリアルは議論やプレゼン、アクティビティを通じて友達がつくりやすい環境でした。
学部聴講で選択した8つの科目はどれも実践的でおもしろかったです。たとえばBusiness models and organisational structureは、新たに企業を立ち上げる際のビジネスモデルや戦略に関する授業です。実際の企業を例に、どのような欠点があるか、何に注意すべきかを学びました。Asian Business Environmentは、アジア経済がいかにして成長したかという科目で、日本の成長を海外ではどのように捉えているのかを知ることができました。Why people believe weird thingsというユニークな授業では「人はなぜ怪しいことを信じてしまうのか?」ということで、人の抱くバイアスやその裏にある科学を理解するものでした。
授業以外では、留学生サークルと日本人サークルに所属したほか、2学期には日本で続けていたクリケットも始めました。
最初のホームステイ先はホストマザーだけのご家庭で、庭にプールがあって泳ぎ放題。マザーの友達と会食したり、親戚の方もよく訪れていたので交流したりしました。2番目のステイ先にはホストマザーとホストファザーがいて、週末にはファザーとテニスをしたり、家で一緒に映画を観たり、庭の手入れを手伝ったり。本当の息子のように接してくれました。
1学期のハーフターム休暇では、ヨーロッパ人の友達とキャンピングカーで東海岸を南下し、冬休みにはウルル(エアーズロック)へ。2学期のハーフタームにはダーウィンに行くなど、オーストラリアのさまざまな地域を訪れ、先住民族の文化も学びました。
オーストラリアではバスは手をあげないと停まってくれない、男女でもあいさつ代わりにハグするなど、ちょっと驚いたことはありますが、その他の現地文化にはとくに違和感もなく楽しめました。とくに昼間から気軽にビールを飲めるのはオーストラリアの良さです。
留学を通じて、友達はぐんと増えました。移民を含むオーストラリア人やヨーロッパ人と仲良くなり、世界中につながりができたと感じています。英語も最初は言葉がうまく出て来ずつかえがちでしたが、最後の方はオーストラリアのアクセントが移り、それなりに流暢に話せるように。英語の論文記事を読むことにも慣れました。精神的な面でも、基本的に自分のことは自分でするので自信がつき、とっさの際の対応力が鍛えられたと思います。
留学で得たことを就職活動などに生かすのはもちろんですが、今後の人生のさまざまな場面でこの体験が生きてくるだろうと感じています。
手続き関係が苦手なので、カウンセラーの方が一緒に進めてくださって非常に助かった。また、留学する大学をしぼる際に、希望をしっかり聞いてくれたのもありがたかった。
竹内 賢志郎 さん(22歳)
大学留学(学部聴講)
2018年2月~12月(11ヵ月)
ホームステイ
親に留学を勧められたのがきっかけ。大学3年の時点で将来の目標が決まっていなかったので、海外で生活して視野を広げるのは良いことだとも思い、留学を決意した。
小学校はインターナショナルスクールに通っていたこともあり、英検1級、TOEIC955点などを持っていたが、しばらく英語をしゃべっていなかったので大丈夫かなと思っていた。ホストファミリーとうまくやっていけるかも不安だった。