私、留学ジャーナルで留学しました。
「英語もどちらかというと苦手科目で、なにも分からなかった私。留学ジャーナルの無料カウンセリングに行って、 短期語学留学を体験。翌年には語学留学し、今は帰国して英語を活かした仕事をしています」 こんな声がたくさん届いています。先輩たちの声を聞いてあなたの成功する留学に役立ててください。
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多様性が尊重されているアメリカで、様々な価値観に触れたいと思ったことが今回の留学のきっかけでした。またアメリカは、どの分野においても先進的なので、そのような環境に身を置きたいと考えたことも理由の一つです。
留学中は、英語力の向上だけではなく、外国人の親友を作ることや、趣味のパルクール(全身を使って障害物を乗り越えるスポーツ)のレベルアップも目標にしていました。
アメリカでは「Crazy」や「Funny!」というリアクションをもらうことを常に意識して行動していたように思います。社会人として新しい場所で働いていても、地元の人々と良い関係性を築くことができているのは、留学の成果だと感じています。
カリフォルニア大学サンディエゴ校(UCSD)のキャンパスはとにかく広いです。のんびりと休みたい時にはハンモックで寝たり、勉強をしたくなったら図書館へ行ったりとメリハリをつけられる良い環境でした。
文法の授業は、先生との問答形式での会話や、日替わりで数名の生徒がイディオムを紹介するというユニークな内容でした。特に印象に残っていることは、現代の社会問題について一つ取り上げて、グループで話し合い、解決策を発表するグループワークです。多国籍な留学生を相手に英語で、しかも相手に伝わるように話さなければならないので苦労しました。
放課後にはクラスメイトと芝生で寝転がり、様々なことを語り合ってリラックスしました。クラスメイトは年下ばかりだったので、学生時代はいろんなことに挑戦して悔いなく過ごしてほしい、とアドバイスしました。
アクティビティには積極的に参加しました。「ポテトチップロックハイキング」というアクティビティは、その名の通り、ポテトチップロックという山を登るハイキングです。日本の山とは違い、道中に木がないので景色は常にきれいでした。登頂後は、ポテトチップスを食べました!ボンファイア(たき火)は一番思い出に残っています。マシュマロを食べながら、みんなでたき火を囲み、地球規模の恋愛トークなど様々なことを語り合いました。
ホームステイ先は、とても快適でした。初日の夜からホストブラザーが遊びに連れて行ってくれて、一緒にスーパーボウル(アメリカンフットボールの大会)を見て盛り上がりました。常に元気なマザーと、料理が上手なファザーがいつも支えてくれたので、ホストファミリーと楽しい時間を過ごすことができました。別れ際に「I hope your fortune.」と言われ、握手したことは忘れられません。
昨年の夏に、ロサンゼルスに向かう飛行機の中で知り合ったアメリカ人の友人と再会も果たしました。山に登ったり、ドローンを飛ばしてすてきな動画を撮ったり、海岸でサンセットを見ながら乾杯したりと、アメリカンな1日を満喫しました。
留学していた1ヵ月間を、社会人になった今でも恋しく思う時があります。留学を経験して感じたことは、言葉の壁があっても、「心」を開くことが大切だということです。自分をさらけ出すことで、相手も自然と自分に興味を持ってくれます。
帰国後も英語の勉強は継続しています。将来は、アメリカのIT技術をどこよりも早く日本に取り入れ、かつ日本の技術力と組み合わせて発展させるきっかけづくりのため、日本とアメリカの懸け橋になりたいと考えています。
慣れない地で、外国人と話すことは勇気が必要です。しかし、その勇気を振り絞って踏み出した一歩が今後のあなたの人生に大きな影響を与えるかもしれません。留学は自分を変える絶好の機会です。「外国人の輪の中に入っている自分はカッコいいんだ!」と思って過ごしてみましょう。留学中は、単なる旅行ではできないことをたくさん、そして思いきり楽しんでください!
数多くの選択肢の中、気候や文化などにこだわっていた自分の意見を尊重してくれた。
山崎 杜生 さん(22歳)
短期留学
2020年2月~(4週間)
ホームステイ
University of California, San Diego(UCSD)Extension
英語力の向上や、現地の人とのコネクションづくり、また趣味のパルクールのレベルアップを図りたかったため。
ホストファミリーと打ち解けられるか不安だった。