留学成功の秘訣

語学留学体験者(休学留学)のケース

今月の成功者

-- Photo -- 齋藤亮さん(23)



日本大学法学部4年、



大手航空会社系のシステム会社に内定

「元々英語は苦手で、外国にもあまり興味がなかった」という齋藤さん。日本にやってきたオーストラリア人と知り合ったことから、「英語が話せるようになりたい!」という思いが募り、1年間の語学留学へ。帰国して見事、旅行業界への就職が内定した。齋藤さんが留学で得たものや、今後の目標などについてうかがった。
↓
成功のポイント
 
齋藤亮さんのステップアップ

2005年
実家にオーストラリアの高校生がホームステイ。海外に興味を持つきっかけに
2006年2月
両親から航空券をプレゼントされ、1週間オーストラリアに滞在
2006年4月
留学を決意し、英会話学校に通い始める。留学ジャーナルに相談し、学校を選定
2007年2月
渡航。メルボルンの語学学校Embassy English, Melbourne
2008年1月
ブリスベンで1ヵ月暮らす。学校もブリスベン校に転校。帰国を前に、就職サイトへの登録を始める
2008年2月
帰国。留学ジャーナルでキャリアカウンセリングを受ける。企業の説明会に参加、就職活動開始
2008年4月
貿易会社、旅行関連会社から内定を得て、旅行関連会社への就職を決める
「留学して人見知りしなくなり、自分から人に話しかけて行動するようになりました」
「同じクラスに日本人がいなかったので最初は戸惑いましたが、かえってそれがよかったのではないかと思います」

高校時代、英語はあまり得意ではなく、海外旅行などにも興味がなかったという齋藤亮さん。家を出て東京の大学に通い始めたところ、実家でオーストラリアの高校生がホームステイすることになり、それが齋藤さんの考え方を大きく変えるきっかけとなった。「週末に実家に帰って一緒に食事をしたり、富士山へ旅行に行ったりして、結構楽しい時間が過ごせたんです。次の年、両親が20歳の誕生日のプレゼントにと、オーストラリア往復の航空券をくれたので、『いい機会になるかもしれない』と、1週間旅行に出かけることにしました」。

現地では、日本で親しくなったオーストラリア人高校生の家で世話になり、あちこち案内してもらうことになった。その高校生は元々日本語を勉強していたことから日本語が堪能。ずっと通訳をしてもらっていたという。「それはうれしかったんですが、でももし自分で英語が話せたら、もっと楽しいだろうに、と思うようになったんです」。

日本に帰ってからもその思いは消えず、「もう一度オーストラリアに行こう、語学学校で1年間じっくり勉強しよう!」という決意が固まっていった。2月の旅行を終えて3月には留学を決断、4月から英会話学校に通い始めることにした。夏前には留学ジャーナルを訪れ、学校を選定。場所は以前に旅行したのと同じメルボルンで、日本人の少ない学校を選ぶことにした。「大学を1年間休学することには多少ためらいがあったんですが、やはり休学してイギリスに留学したアルバイト先の上司に、強くすすめられました。また、ロサンゼルスに留学した経験のある母が応援してくれたのも、ありがたかったですね」。

こうして、旅行から約1年後に再度オーストラリアに渡り、留学生活がスタート。しかし、英語が好きでずっと勉強してきたほかの日本人から比べると、当初はやはり英語力が不足していた。「クラスはレベル別だったんですが、ほかに日本人がいなかったんです。最初は英語に自信がなかったので日本語が全く通じない環境というのが不安でしたが、それが逆によかったのではないかと思います。わからないことがあったら、先生やクラスメイトに、とにかく英語で聞くしかなかったので」。

最初は「授業で先生が何を言っているかよくわからない」状態だったのが、1ヵ月ほどすると、知っている言葉を駆使して、自分から意見が言えるようになった。そうすると一般的な会話レッスンだけでは飽き足らなくなり、大学へ入学する準備をしている人などが通う「アカデミック・コース」への移行を決めた。「僕は進学する予定があったわけではないのですが、少しでも真剣に勉強できる場がほしいと思って、コースを変えたんです。会話だけでなく、リーディングやライティングを勉強することで耳で理解した英語を文字で改めて理解することができ、英語力が鍛えられたと実感できました」。

メルボルンでの住まいはホームステイ。最初の家では小さい子どもたちと遊びながら英語に触れることができ、2軒目の家でも、社会人の息子さんと一緒に映画に行くなどして、普段の英語の会話に親しむことができた。そして、韓国人のクラスメイトと街へ遊びに出たことも、会話力を向上させるのに役に立ったという。「韓国人数人に日本人僕1人というグループで、よく遊びに出かけていました。お互いの共通語は英語しかないので、だいぶ英語で話すようになりましたね」。また、仲間を非常に大切にする韓国人のメンタリティに触れ、ほかの国の文化や考え方に、さらに興味を持つようになったという。

 

アカデミック・コースを終えると、そんな韓国人の友人の一人を訪ねてブリスベンへ。「メルボルンでの生活にも慣れ、帰国までの残り時間も限られていました。ちょうどその頃、一旦韓国に帰国していた友達が進学のためにブリスベンに帰って来ていると聞いたんです」。そこでは今度は自力でシェア生活をしてみようと、オーストラリア人とのシェアにトライした。「インターネットで、シェアメイトを募集しているのを見つけたんです。4人分のシェアハウスを2人で共有していたので、結構快適な生活でした。そのころにはもう英語の会話で苦労するということはあまりなくて、言葉が自然に出てくる感じでしたね」。

こうして帰国を1ヵ月後に控えた1月ごろ、にわかに就職のことが気になってきた。「日本では10、11月から動いている人もいるはずだから、帰国して2月から活動したのでは遅いのでは」と、インターネットの就職サイトを検索。「せっかくだから、留学で学んだことを生かしたい」と、「オーストラリア」「英語」といったキーワードでサーチし、コレと思える会社に登録していった。

インターネットでだいぶ情報を得ていたことから、帰国して早くも2日目に、1社目の説明会に参加することに。説明会といっても、実際に人事担当者に会うのは初めてで不安だったため、夕方からの説明会の前に留学ジャーナルでのキャリアカウンセリングを帰国前に予約しておいた。自己分析の方法や、企業研究の仕方などこれからの就職活動全般的なアドバイスだけでなく、数時間後に向かう会社説明会に“どんなことを目的に臨むのか”など確認し、就職活動への第一歩を踏み出した。「就職セミナーなどはほとんど終わっていたので、自分から動かないとダメだという思いはありました。キャリアカウンセリングは、活動を始めるにあたって、とても役に立ちましたね。教えてもらった対策本は、その日のうちに本屋で買って、帰りの電車の中で読みました」。

元々人見知りする性格で、自分から人に話しかけるのが苦手だったという齋藤さん。オーストラリアでの留学中にそんなところがすっかり変わり、むしろ知らない人にも積極的に声をかけるようになっていた。「そのせいでしょうか、面接官を前にしても、あまり緊張するということがありませんでした」。

面接では、オーストラリアでの留学経験とともに、大学1年のときから続けていた代議士事務所でのインターン経験をアピール。「その事務所の仕事で、地震の被災地で復興支援の活動をしたりしたのですが、そうやっていろいろな経験をしてきたことが、企業の人に評価してもらえたようです」。

就職活動を始めて2ヵ月後には、貿易会社と旅行関連会社から内定を得、面接官の人柄に引かれて、大手航空関連会社系列のシステム会社への就職を決めた。「海外にも駐在オフィスがあるので、いずれ外国で働く機会があれば、と思っています」。

卒業までの残りの日々は、代議士事務所でのインターンの仕上げと、再度の語学留学に費やすつもりだという。「今度はアメリカに3?4週間行ってみようと思っているんです。アメリカの名門大学のキャンパスの雰囲気というものも楽しんでみたいし、やはり、卒業旅行ではなく、もう一度英語を勉強したいと考えています。こうやって学んだことは、きっといつか仕事に生きてくるのではないかと思います」。

キャリアカウンセラーが分析

  齋藤さんから初めてご連絡をいただいたのは、帰国少し前、現地からのメール相談でした。帰国予定の2月末というのは、就職活動の『行動期』。多くの企業が1次選考を兼ねた説明会を始めている頃です。帰国後すぐに活動開始できるように『自己分析&相談シート』をメールで送り、対面でのキャリアカウンセリングの日程を調整しました。

休学して留学し、帰国後に就職活動を控えている場合は、留学により就職活動自体は1年先になるとしても、出発前に『年間のスケジュール』は把握しておきたいものです。各大学の就職課、キャリアセンターなどで行われる『就職ガイダンス』は10月初旬辺りから開催されることがほとんどで、学校により内容は異なりますが、企業を招いての説明会や、自己分析・エントリーシートの指導などもこの時期に行われることがほとんどです。年明けに帰国する計画を立てている場合は、そうした就職活動の『研究・準備期』を過ぎて帰国することになるのと同時に、留学前の同級生たちは既に就職活動も終えて卒業間近という時期になります。

齋藤さんの場合も、まずは自分を振り返り『やりたいこと』『できること』『やってきたこと』の3点を整理して応募先の企業に合わせて自分の言葉で伝えられるよう『自己分析』する必要がありました。この作業は、最初から完璧にできる人はいませんが、帰国前に留学先からメールで質問に答えていただき、文字にして送っていただいた上でお会いしたことは帰国後のスタートダッシュに役立ったのではないかと思います。

また、就職先を決めた齋藤さんに改めてお会いし、お話を伺うと、留学経験やそこでの出逢いそのものが企業や将来の仕事を選ぶきっかけになっていると感じました。留学のきっけまで遡って伺うと、英語や海外にそれほど興味をもっていなかったようです。オーストラリアで主体的にコミュニケーションをとっていかざるを得ない状況で、言葉や気持ちが通じ合う経験から得られたものは大きかったと思います。また、英語を使う機会のある仕事に対しても積極的に応募したのも、苦手だった英語に対しての手応えを感じたからでしょう。耳が慣れてきたところでアカデミックコースに移り、読み書きなど、英語を“文字”で再認識したことも、語いや表現を定着させ自信をもって会話できるようになったのだと思います。このことは齋藤さん自身の選択肢を拡げました。

成功のポイントの3つ目に挙げたインターンシップの経験は、留学中のエピソードではありませんが敢えて挙げています。新卒、20代前半の方たちへの人事の期待は、『伸びしろ』です。つまり、吸収力や成長のスピードといった可能性です。留学のプログラムにも“インターンシップ”のプログラムがありますが、成功のポイントは『主体的な視点と行動』です。インターンシップというと、何となく「ビジネスの現場で経験させてもらえる」と受動的に捉えてしまう方が多い気がしています。齋藤さんの代議士のインターンも、実際の仕事の多くは、コピーを取って配布部数ホチキスで止めて用意したり、ダンボールを講演会場まで運んだり、電話を取り次いだりといったもの。ただ、その中で、地域の人々の生の声や企業の経営者の話を聞くなど、年代も職業も異なる様々な人と接する機会から主体的に世の中を観察していったことは大きな財産になったはずです。これは“代議士だから”、“インターンだから”ではなく、そこから『何を得たか』実感し、自らの言葉にできるかどうかが大切です。その点では留学も同じです。

留学や就職活動で感じた達成感や自己成長の喜びは、残りの学生生活や、社会に出てからも主体的な目標設定とともに繰り返されていくことと思います。

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