留学成功の秘訣
高校時代、英語はあまり得意ではなく、海外旅行などにも興味がなかったという齋藤亮さん。家を出て東京の大学に通い始めたところ、実家でオーストラリアの高校生がホームステイすることになり、それが齋藤さんの考え方を大きく変えるきっかけとなった。「週末に実家に帰って一緒に食事をしたり、富士山へ旅行に行ったりして、結構楽しい時間が過ごせたんです。次の年、両親が20歳の誕生日のプレゼントにと、オーストラリア往復の航空券をくれたので、『いい機会になるかもしれない』と、1週間旅行に出かけることにしました」。 現地では、日本で親しくなったオーストラリア人高校生の家で世話になり、あちこち案内してもらうことになった。その高校生は元々日本語を勉強していたことから日本語が堪能。ずっと通訳をしてもらっていたという。「それはうれしかったんですが、でももし自分で英語が話せたら、もっと楽しいだろうに、と思うようになったんです」。 日本に帰ってからもその思いは消えず、「もう一度オーストラリアに行こう、語学学校で1年間じっくり勉強しよう!」という決意が固まっていった。2月の旅行を終えて3月には留学を決断、4月から英会話学校に通い始めることにした。夏前には留学ジャーナルを訪れ、学校を選定。場所は以前に旅行したのと同じメルボルンで、日本人の少ない学校を選ぶことにした。「大学を1年間休学することには多少ためらいがあったんですが、やはり休学してイギリスに留学したアルバイト先の上司に、強くすすめられました。また、ロサンゼルスに留学した経験のある母が応援してくれたのも、ありがたかったですね」。 こうして、旅行から約1年後に再度オーストラリアに渡り、留学生活がスタート。しかし、英語が好きでずっと勉強してきたほかの日本人から比べると、当初はやはり英語力が不足していた。「クラスはレベル別だったんですが、ほかに日本人がいなかったんです。最初は英語に自信がなかったので日本語が全く通じない環境というのが不安でしたが、それが逆によかったのではないかと思います。わからないことがあったら、先生やクラスメイトに、とにかく英語で聞くしかなかったので」。 最初は「授業で先生が何を言っているかよくわからない」状態だったのが、1ヵ月ほどすると、知っている言葉を駆使して、自分から意見が言えるようになった。そうすると一般的な会話レッスンだけでは飽き足らなくなり、大学へ入学する準備をしている人などが通う「アカデミック・コース」への移行を決めた。「僕は進学する予定があったわけではないのですが、少しでも真剣に勉強できる場がほしいと思って、コースを変えたんです。会話だけでなく、リーディングやライティングを勉強することで耳で理解した英語を文字で改めて理解することができ、英語力が鍛えられたと実感できました」。 メルボルンでの住まいはホームステイ。最初の家では小さい子どもたちと遊びながら英語に触れることができ、2軒目の家でも、社会人の息子さんと一緒に映画に行くなどして、普段の英語の会話に親しむことができた。そして、韓国人のクラスメイトと街へ遊びに出たことも、会話力を向上させるのに役に立ったという。「韓国人数人に日本人僕1人というグループで、よく遊びに出かけていました。お互いの共通語は英語しかないので、だいぶ英語で話すようになりましたね」。また、仲間を非常に大切にする韓国人のメンタリティに触れ、ほかの国の文化や考え方に、さらに興味を持つようになったという。
アカデミック・コースを終えると、そんな韓国人の友人の一人を訪ねてブリスベンへ。「メルボルンでの生活にも慣れ、帰国までの残り時間も限られていました。ちょうどその頃、一旦韓国に帰国していた友達が進学のためにブリスベンに帰って来ていると聞いたんです」。そこでは今度は自力でシェア生活をしてみようと、オーストラリア人とのシェアにトライした。「インターネットで、シェアメイトを募集しているのを見つけたんです。4人分のシェアハウスを2人で共有していたので、結構快適な生活でした。そのころにはもう英語の会話で苦労するということはあまりなくて、言葉が自然に出てくる感じでしたね」。 こうして帰国を1ヵ月後に控えた1月ごろ、にわかに就職のことが気になってきた。「日本では10、11月から動いている人もいるはずだから、帰国して2月から活動したのでは遅いのでは」と、インターネットの就職サイトを検索。「せっかくだから、留学で学んだことを生かしたい」と、「オーストラリア」「英語」といったキーワードでサーチし、コレと思える会社に登録していった。 インターネットでだいぶ情報を得ていたことから、帰国して早くも2日目に、1社目の説明会に参加することに。説明会といっても、実際に人事担当者に会うのは初めてで不安だったため、夕方からの説明会の前に留学ジャーナルでのキャリアカウンセリングを帰国前に予約しておいた。自己分析の方法や、企業研究の仕方などこれからの就職活動全般的なアドバイスだけでなく、数時間後に向かう会社説明会に“どんなことを目的に臨むのか”など確認し、就職活動への第一歩を踏み出した。「就職セミナーなどはほとんど終わっていたので、自分から動かないとダメだという思いはありました。キャリアカウンセリングは、活動を始めるにあたって、とても役に立ちましたね。教えてもらった対策本は、その日のうちに本屋で買って、帰りの電車の中で読みました」。 元々人見知りする性格で、自分から人に話しかけるのが苦手だったという齋藤さん。オーストラリアでの留学中にそんなところがすっかり変わり、むしろ知らない人にも積極的に声をかけるようになっていた。「そのせいでしょうか、面接官を前にしても、あまり緊張するということがありませんでした」。 面接では、オーストラリアでの留学経験とともに、大学1年のときから続けていた代議士事務所でのインターン経験をアピール。「その事務所の仕事で、地震の被災地で復興支援の活動をしたりしたのですが、そうやっていろいろな経験をしてきたことが、企業の人に評価してもらえたようです」。 就職活動を始めて2ヵ月後には、貿易会社と旅行関連会社から内定を得、面接官の人柄に引かれて、大手航空関連会社系列のシステム会社への就職を決めた。「海外にも駐在オフィスがあるので、いずれ外国で働く機会があれば、と思っています」。 卒業までの残りの日々は、代議士事務所でのインターンの仕上げと、再度の語学留学に費やすつもりだという。「今度はアメリカに3?4週間行ってみようと思っているんです。アメリカの名門大学のキャンパスの雰囲気というものも楽しんでみたいし、やはり、卒業旅行ではなく、もう一度英語を勉強したいと考えています。こうやって学んだことは、きっといつか仕事に生きてくるのではないかと思います」。
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