留学成功の秘訣
「思い立ったらすぐに行動しないと気がすまない」という渡邊晋太郎さんは、アメリカのグランドキャニオン、アラスカ、ベトナムなどへ一人で出かけ、現地集合・現地解散の旅に参加してきた。「一緒に参加しているのは英語圏の人が多く、『英語が話せれば、もっとコミュニケーションが取れるのに』と、悔しい思いをしたんです」。 当時の渡邊さんのTOEICスコアは500点くらい。英語は得意といえる科目ではなく、どこかコンプレックスを感じていた。そんなとき、友人の誰かが留学したという話を聞き、「いっそのこと留学すれば、確実に英語力がつくはず」と、留学ジャーナルへ相談に行くことにした。同時に親を説得し、大学を休学するための手続きについても調べ始めた。「留学先は、日本人が少なく、国についての知識もあまり多くなかったアイルランドを選びました。これまでに行ったことのあるアメリカなどよりも、未知の部分が多いことから興味を持ったんです」。 ところが、アイルランドに到着早々大変なアクシデントが。飛行機に乗せた荷物が行方不明になってしまい、5日間、身の回りのものなしで過ごす羽目になってしまったのである。「寮の管理人のおばさんの息子の服を借りたりしていました。すごく大変だったので、逆に緊張を感じる間がなかったように思います」。 寮に住んでいたのは、スペイン、イタリア、ブラジル、カザフスタンなど、実に多彩な国籍の人々で、日本人は渡邊さんだけ。それでも、ビールを飲みながらテレビを見て、サッカーの話で盛り上がったりしたという。「ちょうど日本の中村俊輔選手がスコットランドのプレミアリーグでプレーしているときで、地元の新聞に大きく載っていたりして、ちょっと誇らしかったですね」。 語学学校での授業は、アイルランド到着後すぐに始まった。1クラスは10人くらいで、午前は文法学習やペアでの会話練習、午後にはディベートなどを行った。実は最初のころは、「先生から指示されている内容すらわからない」という状態だったのだが、「留学中に必ず英語をモノにする」という信念の元、授業以外でも勉強に励んでいた。授業の予習・復習は欠かさず、さらに、わからなかった単語を整理して、単語帳を作ることを日課としたのである。100枚つづりの単語帳を使っていたところ、9ヵ月後の帰国時にはなんと60冊以上もたまっていたという。 そんな猛勉強が功を奏したのか、始まって3ヵ月頃には、苦手だったはずの英語が、逆におもしろくなってきた。「英語って、日本で勉強しているときは、『特に理由はないけれど、こう言うことになっている』なんて説明されることが多いじゃないですか。僕は理系なので、そういうあいまいなものがとても苦手だったんです。でも、アイルランドに行って英語で英語を学んでみると、英語にもちゃんと理論やルールがあって、すごくロジカルなんだということがわかりました。ある表現が生まれた背景にはどんな歴史があるかと言ったことも教えてもらい、英語に対してすごく興味がわいてきたんです」。 12段階に分かれたレベルの真ん中くらいからスタートし、修了時には、なんとトップのクラスへ。「最後は1クラス3人の少人数クラスで、クラスメイトはイタリア人とブラジル人。彼らは既に仕事で翻訳や通訳として英語を使っている人だったので、ボキャブラリーだけではなく表現力の多様さなど、すごく勉強になりました。先生とも思ったことがなんでも話せる雰囲気でプライベートな話もしたり楽しいクラスでした」。それまでのクラスメイトたちも、仕事で英語を使う人、海外の大学を目指している人、就職活動に役立てたい人など、目的はさまざまだったが、「みんな、目がキラキラしていて、『自分にはやりたいことがあってがんばっているんだ』ということがひしひしと伝わってきて大きな刺激になりました。自分がそういった人たちの中にいられることが、すごくうれしかったですね」。
中でも、渡邊さんが親しくしていた一つ年下の韓国人の学生の夢は、何と「大統領になること」。「日本でそんなことを言うと、まともに相手にしてもらえない感じがあるじゃないですか。でも、彼は『自分の力で世の中を変えたいんだ』というくらいのことを、真剣に考えていたんです。僕も負けられないな、と思いましたね」。その韓国人の友人とは帰国後もメールのやりとりがあり、最近、イギリスの大学に留学するという知らせが来たそうだ。 帰国を控えた11月頃になると、そろそろ就職のことが気になりはじめ、日本にいる友人に「どんな様子?」とメールを送ったりした。そして、1月に帰国するとすぐ、キャリアカウンセリングのために留学ジャーナルを訪れ、興味を持ち始めていた貿易関連の仕事や英語を生かせる仕事の可能性などについてアドバイスを受けた。「薬科大学に行ってはいますが、製薬会社で働きたいという気持ちはなかったんです。今大学でやっていることをそのまま会社で生かすとすると、研究職として、毎日研究室の中で過ごすことになるかもしれません。研究そのものは面白いんですが、一生続けていくなら、広い世界でいろんな人に出会う仕事がしてみたかったんです」。 こうしてキャリアカウンセリングを受け、具体的にやるべきことをイメージすると、渡邊さんは本格的に就職活動を開始した。また、ちょうど2月に「休学留学ワークショップ」があったので企業の説明会やエントリーの合間を縫って参加した。このワークショップは、これから休学留学する人と、渡邊さんのように帰国した人、休学留学を経て既に社会人として活躍しているOB・OGが、留学生活や就職をテーマに会員同士で交流したりアドバイスしあったりできるイベントだ。そのワークショップにちょうど物流会社に就職しているOGが参加したため、働いている人の生の声を聞くことができた。「それまでは、“海外と接点がある”“英語を生かせる”という漠然としたイメージで物流という仕事に興味をもっていたのですが、その人が、自分の仕事にとても誇りを持っているのが、印象的だったんです。そういえば、アイルランドにいたときも、車や電気製品など街のいたるところに日本のものがあって、外国から来た友人は「日本ってスゴイんだね」と言ったりしていました。そうやって日本の商品を海外に運ぶのが物流の仕事だとしたら、とても大事な、やりがいのある仕事だと思ったんです」。 「就活をスタートした当初は、専攻している“生命科学部”という理系の学部とは全く異なる業界や職種を志望していることをどう説明したらよいか迷った時期もありましたが、もっと広い世界をみたいと思い、行動を起こし留学したことや、そこから得られたことを繰り返し話しているうちに自信をもって伝えられるようになりました」。そうして、一番話がはずんだ第一希望の大手物流会社から、早々に内定を得ることができた。両親が住む静岡を拠点とする企業とあって、誰よりも両親が喜んでくれたという。「面接会場に行く際、港に寄って船を見てきたことがあるんです。予想よりもはるかに大きくて、『こんな大きな物を動かす仕事をするようになるのか』と胸が躍りました。年を取ってからも子どもに自慢できる仕事ですね(笑)」。 今は卒論のための実験で忙しい日々を送る一方、長期エジプト旅行の計画も立てているところだという。「内定者研修に行ったら、理系は僕一人だったんです。まだまだ大変なことがあるかもしれませんが、それも楽しみのうち。困難や辛いことを乗り越えた経験は、新しいことにチャレンジしたいときに、自分の背中を押してくれる。そのことを留学で学んできましたから」。
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