起床 | |
出勤。メールチェック、事業の進捗等を確認 | |
計画書や報告書の構想や内容を検討。事業チームに確認するなどして、コンテンツを決定 | |
昼食。しばしば同僚のバースデイランチに参加 | |
午前中に決定したコンテンツをもとに書類を作成。事業報告を行うことも | |
翌日の事業内容やスケジュールを整えて、退勤 | |
夕食 | |
SNSなどで日本にいる家族と会話 | |
就寝 |
グローバルに社会貢献ができる国際機関で働くには、どのようなステップが必要なのだろう。
いま活躍する日本人職員に、その道のりを聞いた
起床 | |
出勤。メールチェック、事業の進捗等を確認 | |
計画書や報告書の構想や内容を検討。事業チームに確認するなどして、コンテンツを決定 | |
昼食。しばしば同僚のバースデイランチに参加 | |
午前中に決定したコンテンツをもとに書類を作成。事業報告を行うことも | |
翌日の事業内容やスケジュールを整えて、退勤 | |
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「居住、すなわち住まいの問題は、究極的には、そこで暮らす人間の“しあわせ”の問題だと考えています」
そう語るのは、UN-HABITAT(国連人間居住計画)のフィリピン事務所に勤務する山本真太郎さん。UN-HABITATは、世界中の都市化や居住に関する諸問題に取り組む国連機関。山本さんは現在、フィリピン・ミンダナオ島で紛争被害に遭った人々のために家を建てるプロジェクトに携わっている。
「ミンダナオ島では、フィリピン政府とイスラム反政府勢力との内戦が40年以上続きました。和平合意後の2017年にも、イスラム国系過激派によるマラウィ市の占拠とその後の大規模な武力衝突で、多くの人々が被災しました。事態の収束後、避難民の帰還・定住を促進するため、フィリピン事務所では昨年から、日本政府の財政支援を受けて、現地で1500軒の家を建てる活動を開始しています。私はここで、日本政府への活動報告や事業計画の立案などに関わっています」
紛争や災害、貧困といった社会問題に対し、UNICEF(国連児童基金)なら「子ども」、UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)なら「難民」と特定の対象に視点を置いてアプローチする国連機関もある。その一方で、山本さんが着目したのは「住まい」。世界の諸問題をそこに住む「家族」や「住民」という単位で捉え、支援するUN-HABITATは、自身が理想とする社会貢献の形を掲げる数少ない国際機関の一つだった。
「人間はひとりぼっちでは、生きられません。誰もが家族や周囲の支えを得て生きています。つまり、私たちにとって、支え合いの中で生きがいを見出していくことが、ひとつの大切な価値なのです。お金や地位があっても必ずしも“しあわせ”になれるとは限りません。住居や都市、まちづくりの問題に取り組むことは、人々の支え合いや生きがいも含めて支えていくということ。私は、UN-HABITATとは、『国連しあわせ計画』だと思って、この仕事に従事しています」
2000年島根県立出雲高等学校を卒業し、国立徳島大学総合科学部に入学。国際政治学を専攻し、バングラデシュやアフガニスタンなど海外での支援活動にも積極的に参加。オーストラリア、イギリスで2 度の留学を経験し、英語力を磨く。
2005年大阪大学大学院国際公共政策研究科に入学。国際公共政策の修士号を取得。在学中、国際NGO団体Habitat for Humanity Japanの職員としてパキスタンに赴任し、地震被災者支援の事業管理に従事。
2009年同NGOの正職員として採用。東日本大震災を含む緊急支援事業の設計・管理等で実績を積んだ後、部長職に就任。団体の支援活動を統括する。
2016年外務省で勤務開始。総合外交政策局国連企画調整課にて国連の行財政政策や邦人職員増強施策を担当。
2017年外務省在職中、JPO試験
に合格。翌年、国連人間
居住計画(UN-HABITAT)
フィリピン事務所で
勤務開始。
山本さんが「人間のしあわせ」に関わっていきたいと思うようになったのは高校時代。食べる物や着る物、教育にも事欠かず、不自由なく育ててもらい、残りの人生は他人のために使うべきだと思った。徳島大学に入学後、2年次には休学して西オーストラリア大学に語学留学、3年次にはイギリス・ウェールズ大学スウォンジー校(現・スウォンジー大学)に交換留学した。さらに、途上国や紛争地に赴き、医療支援活動にも積極的に参加。2度の長期留学と海外ボランティア活動を通して、国際的な視野を広げた。
「他人のために、と言うのは簡単ですが、それには力や覚悟が必要です。高校時代は成績も学年で下から数えたほうが早いレベル。文系でしたから、英語だけでも使えるようにと励み、結果として2度も留学しました。単語の暗記から論文の作成まで一心不乱に勉強しましたね。思うようにいかず自信を失い、言いようのない不安の中で涙したこともありましたが、自分を諦めず、取り組み続けました。一方、授業で国連の役割をテーマに議論したことがあり、これだ!と思いました。帰国後、国際政治学を専攻することに決めるとともに、アフガンなど海外支援の現場にも勇気を出して足を運び、世界の現実を肌で理解するよう努めました。手探りでしたが、まずは自分自身をなんとかしなければと必死でした」
学部卒業後は、大阪大学大学院国際公共政策研究科に進学。現国連大使である指導教員に師事し、国連へのステップについても真剣に意識し始める。結果、インターン活動等を通じて住居支援を専門とする国際NGO団体Habitat for Humanityとの縁を得た山本さんは、再び1年間休学し、職員として支援の現場に赴いた。
「2005年にパキスタン北東部カシミール地方で大地震があり、現地で被災者支援に携わりました。日本人は私一人、現場ではテント生活でしたが、責任ある立場でプロジェクトマネジメントを経験し、自信も得ました」
大学院の修士課程修了後は、同NGOに正職員として就職。6年半勤務し、管理職まで務めた。34歳のときに外務省で勤務開始。翌年、外務省による国連職員派遣制度JPO試験に合格した。国連職員を目指して実に15年。一つひとつの努力と経験が夢につながった。
「今後の活動で私が考えていきたいことは2つあります。ひとつは、発展とは何か?開発の先に本当に“しあわせ”はあるのか見極めたい。もうひとつはプロセスの問題。自分たちの“しあわせ”の問題であるまちづくりを住民自身が責任を持って議論し、決めていくことが何より大切です。どういうまちづくりのプロセスが、そこに息づく人々や家族の“しあわせ”を支え、高めていけるのか国際的な視点で考えていきたいと思います」
学部時代は、長期留学を2度経験して英語力を鍛えた。また、国際政治学を学ぶ傍ら、春休みや夏休みを利用して、バングラデシュやアフガニスタンでの医療支援活動に海外ボランティアとして参加。国際協力の仕事に興味を持ち、国連職員という夢を追い始める。
学部卒業後、大阪大学大学院で国際公共政策を学ぶ道を選択。現国連大使の指導教員のもと本格的に国際協力の道を志す。大学院時代も1年間休学し、国際NGO団体Habitat for Humanity Japanの職員としてパキスタンの地震被災地に赴任。大学院修了後、正職員として採用される。
国連職員というゴールに向け、計7年間勤務したNGOを退職し、外務省で仕事に就く。国連の行財政政策などに関わる業務を担当。在職中、国連職員派遣制度であるJPO試験に応募し、見事合格。JPO試験の受験資格は35歳が上限。まさにラストチャンスで夢を叶えた。
UN-HABITAT(国際連合人間居住計画)は、1978年、ケニア・ナイロビに設立された都市化と居住の問題に取り組む国連機関。各国政府、地方自治体、NGO、民間のほか、他の国連機関と連携しながら、政策提言、能力開発、国際・地域・国家・地方といったレベルでのパートナーシップ構築を通じて、社会的、環境的に持続可能なまちや都市づくりの促進に向けた活動を行う。
「Junior Professional Officer」を派遣する制度のこと。将来に亘り国際機関で働くことを希望する若手日本人に、外務省が経費を負担して、原則2年間、国際機関で勤務する機会を提供する。その間、勤務を通じて必要な知識・経験を積み、JPO勤務中に正規採用を獲得することが目的。最近ではJPOの約7~8割がその後正規職員として採用されており、現在882名いる国連の日本人職員のうち、4割以上がJPOの出身だ。
受験の要件は、35歳までで、日本国籍があり、専門分野の修士号及び関連する2年以上の職歴、職務に使える英語力があることが必要。何度でも受験できるので、要件を満たした方はぜひ早期から挑戦してもらいたい(詳細は下記HP参照)。