出勤。メールチェック、タスクリストで業務の全体像を把握 | |
デスクにて執務 | |
セクション・ミーティングにて作業の進捗を確認(不定期) | |
昼食 | |
国連内にてスペイン語レッスン | |
デスクにて執務 | |
退勤。ジム、ドイツ語レッスン、夕食。クラシックコンサートなどに出かけることも | |
就寝 |
グローバルに社会貢献ができる国際機関で働くには、どのようなステップが必要なのだろう。
いま活躍する日本人職員に、その道のりを聞いた
出勤。メールチェック、タスクリストで業務の全体像を把握 | |
デスクにて執務 | |
セクション・ミーティングにて作業の進捗を確認(不定期) | |
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国連内にてスペイン語レッスン | |
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退勤。ジム、ドイツ語レッスン、夕食。クラシックコンサートなどに出かけることも | |
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麻薬取引、テロ、人身売買、武器密輸など、社会の裏側の問題に取り組んでいるのが、国連薬物・犯罪事務所(UNODC)だ。ウィーンの本部に勤務する宮城島佑太さんは、それらの中でも腐敗、マネーロンダリングといった経済犯罪を担当している。政治家や公務員に裏金を渡して便宜を図ってもらうような腐敗を、法律の整備などによって防止するのが主な仕事だ。
「世界的な課題にアプローチできるのが国連で働く醍醐味です。国際社会が目指す方向性を世界に向けて発信し、推し進めていく仕事は、やはり面白いですね」
具体的には、国連腐敗防止条約を結んでいる国々の取り組みが、条約の求めるものと合っているかどうかをチェックする。日本も昨年、この条約を受諾した。条約では、腐敗防止のための政策を立案し、それを実施するための専門機関を設置することなどが決められている。ときにはその国に出張して担当者に会い、状況をウィーンの本部に報告する。
日々の仕事にやりがいを感じている宮城島さんだが、早くから国際機関を目指していたわけではない。もともとは学者志望だった。大学院で法律を研究し、アメリカに留学しようとフルブライト奨学金に応募した。
「研究者になるために留学したくても、アメリカのロースクールは1年で700万円くらいかかる。そんな資金はないし、普通に企業に就職するには年齢的に遅い気がしました。どう生きていけばいいのか、将来が見えなくて、人生でいちばん大変な時期でした」
必死の思いで受けた3回目の挑戦で奨学金を得て、ペンシルべニア大学のロースクールに1年間留学した。英語は得意だったはずなのに、初めのころは授業が聞き取れず、クラスメイトとのランチも話題についていけなかった。それでもめげずに各国から来た学生たちと交流した。
分かってきたのは、日本では空気を読むことが重視されるのに対して、アメリカでは自分の意見を言えない人は評価されないということだった。周りに合わせて行動するのではなく、自分の頭で考え、人とは違う意見を言う。それを評価し、大事にする土壌があった。留学生活で学んだこの考え方は、現在の職場でも大いに役立っている。
ロースクール卒業後、せっかくだからアメリカで働いてみようと、ニューヨークの国連本部事務総長室のインターンに願書を送った。Webサイトで見つけただけで、何のツテもコネもなかった。2日後に電話で面接をすることになり、慌てて国連について猛勉強した。電話で英語が聞き取れるのか、不安を抱えたまま、電話面接に臨んだ。
「合格したときは信じられませんでした。地元の静岡から東京に出てきて、日米の国の奨学金をもらってアメリカに留学して、マンハッタンの真ん中で仕事をするなんて。自分もそれなりに頑張ったのかな、という気がしました」
2008年3月慶應義塾大学大学院法学研究科修士課程修了。留学に向けてTOEFL受験・米国ロースクールへの出願・留学用奨学金への応募を始める
2011年5月ペンシルベニア大学ロースクール修士課程修了。慶應義塾大学大学院後期博士課程中に、米国政府よりフルブライト奨学金を受給し留学。同校Journal of International Lawの国際編集委員を務める
2011年6月国連本部・事務総長室にて
サマーインターン。法の
支配に関する専門部署で、
国連総会・安全保障理事会
へ提出する国連事務総長
の法律文書作成に従事
(3ヵ月)
2013年3月慶應義塾大学大学院法学研究科後期博士課程単位取得退学。国際取引法・英米法に関する論文執筆に加え、学外機関の研究員としてネパール民法改正作業に参画
2013年4月米系保険会社入社、コンプライアンス部門に配属。本社が展開する、腐敗・マネーロンダリング防止などを扱うグローバル・コンプライアンス・プログラムの日本への導入を主導
2017年3月国連薬物・犯罪事務所(UNODC)入所。在ウィーンの同本部、条約局・腐敗経済犯罪部にJPO(ジュニア・プロフェッショナル・オフィサー)として着任
事務総長室では先輩に恵まれ、当時のパン・ギムン事務総長が国連総会や安全保障理事会に提出する文書の下書きを頼まれた。内部から見た国連は新鮮だった。貴重な経験をすることができて、3ヵ月のインターンを終えるころには、
「学者の道をいったん外れて、もう少し広い世界で働いてみたいと思い、国連も視野に入れるようになりました」
しかし、国連で働くには実務経験が必要だ。それにビジネスの世界も見てみたい。そこで、帰国して大学院の博士課程を単位取得退学すると、アメリカ系の保険会社に就職した。仕事をひと通り覚えるため、3年は続けることに決め、その後、外務省のジュニア・プロフェッショナル・オフィサー(JPO)に合格。自分の法律の知識と仕事の経験が生かせる機関とポストを選び、現在の部署での採用が決まった。
宮城島さんは、日本人が国連で働くには、いくつかのハードルがあると言う。大学を卒業して企業に就職すれば生活は安定するが、国連を目指すには修士号が必要だから、その安定を捨てて大学院に進まなくてはならない。もちろん、英語力が求められるし、勤務地は海外が多い。
さらに、国連の契約は終身雇用ではない。契約が終わったり、日本に帰りたいと思ったときに、生活が成り立つかどうかも考えておく必要がある。宮城島さんが外資系保険会社に就職したのは、将来、帰国したときに就職先が探しやすいという意味もあった。
「とはいえ、この生き方で何とかやっていけるだろうと思えるようになったのは、わりと最近です。会社の利益のために働く民間企業と違って、広い視野で仕事ができるのが国連の魅力。海外勤務を続けて、徐々に責任の重い仕事を任されるようになりたいです」
英語が聞き取れず、午前中の授業を受けただけで頭痛がするほどだったが、英語を母国語とする人たちばかりのゼミに入り、英語力、思考力ともに鍛えられた。海外から来たクラスメイトとも積極的に交流し、さまざまな価値観に触れて視野が広がった。安易に周りに同調せず、自分の意見を持つことの大切さを学んだ。
それまで国際機関を目指していたわけではなかったが、ロースクール卒業後、たまたま見つけたサマーインターンに採用される。何のツテもコネもなかったが、事務総長室の法律関係の部署で公式文書の下書きなどを担当。国連という組織を内部から見ることができた。将来の仕事の選択肢に国際機関が加わった。
アメリカから帰国して大学院の博士課程にいるうちに29歳に。企業に入るならラストチャンスだと思い、米国系保険会社に就職する。「3年は在籍し、そしていずれは羽ばたこうと思い、タイミングを見ながら仕事をしていました」。結局4年勤務し、将来の人生設計に大きな安心感を得て国際公務員へチャレンジできた。
United Nations Office on Drugs and Crime。国連薬物・犯罪事務所は国際的な連携をとりながら不正薬物、犯罪、国際テロリズムの問題に包括的に取り組む組織。設立は1997年。主な業務として不正薬物および犯罪に関する調査・分析、国連加盟国の不正薬物・犯罪・テロリズムに関する各条約の締結・実施や国内法整備の支援、不正薬物・犯罪・テロ対策における能力向上のための技術協力などを行う。ウィーン本部のほかニューヨークとブリュッセルの連絡事務所や世界50ヵ所の現地事務所がある。
宮城島さんも本文中で指摘しているが、国連をはじめとする国際機関で勤務する場合、日本で多く見られる終身雇用制度と異なり、有期雇用契約を結んで勤務することが一般的である。いわゆる正規雇用として勤務する場合でも、国際機関の若手の職員は1年間の雇用契約からスタートすることも珍しくない。こういう事情から、「国際機関での勤務は不安定なのではないか?」という質問をよく受けるが、国際機関での勤務契約は更新が可能なことも多く、また、雇用契約が切れる機会を捉えて、さらに上位のポストにステップアップしていくことも可能である。なお、英語力や専門性を活かし、一時的に政府関係機関や民間企業、大学などに勤務し、その後、再び国際機関で活躍する人も多い。