起床 | |
自自宅から徒歩15分ほどでオフィスに到着。メールチェック | |
プロジェクトプランの企画、プロポーザルをチェック | |
オフィスのカフェでビュッフェスタイルの昼食 | |
政府機関とのミーティング | |
FAOのコンサルタントとの打ち合わせ。進捗チェック、レポート | |
退社 | |
買い物等をしつつ帰宅。スペイン語かフランス語のレッスン | |
ジム | |
帰宅、食事。スペイン語かフランス語の映画を見ることも | |
就寝 |
グローバルに社会貢献ができる国際機関で働くには、どのようなステップが必要なのだろう。
いま活躍する日本人職員に、その道のりを聞いた
水資源管理の専門家である有山滋郎さんは、カイロにある国連食糧農業機関(FAO)の地域事務所に勤務している。FAOの大きなミッションは、飢餓を解消して、食糧、栄養事情を改善し、持続可能な農業を推進すること。その中で有山さんは、中近東と北アフリカ地域を担当している。
「中近東では水資源が不足しています。その水の消費量を抑えつつ、農業の生産性を上げ、かつ農家の生活が改善される形に変えていこうという難しいプロジェクトに取り組んでいます」
進行中のプロジェクトの一つが、イランのオルミエ湖周辺の水資源管理だ。周りの農地が拡大して水を大量に使うようになったことなどから、湖への水の流入量が減り、湖自体が消滅の危機にある。今は事前調査の段階だが、例えば、栽培にたくさんの水が必要な作物から、あまり使わない作物に変えてもらう、あるいは作物の栽培をやめて養蜂などに切り替える、といった解決策を考える。
「いくつかの方策を組み合わせて、最初はある地域で試してみます。うまくいったら、イランの農業技術指導員などと協力して、新しい農業のあり方を農家に広めていきます」
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有山さんは、農業や農業経済の専門家と数人のチームを組み、相手国の農業省の官僚などとプロジェクトを進めることが多い。途上国ならではの、仕事のペースの遅さに苦労することもあるが、 「イラン、ヨルダンなど、いろいろな国に行って仕事ができるのが面白い。変化があるし、さまざまな経験が得られます。今後のための人間関係をつくれるのも魅力です。何より、昔からやりたかった、持続可能な開発の仕事ができているのが、うれしいですね」
有山さんを今の仕事に駆り立てたのは、子供の頃に見た一枚の写真だった。ピュリツァー賞を受賞した、ケビン・カーターの「ハゲワシと少女」だ。スーダンで飢餓に苦しむ幼い少女のすぐ後ろで、ハゲワシが機会をうかがっている写真は、世界中の人々に衝撃を与えた。有山さんは、日本という裕福な国に生まれたからこそ、状況を少しでも変えられればと思い、貧困問題、環境問題に関心を持った。大学に進学するときには、途上国支援を仕事にしようと決めていた。
しかし、英語が大の苦手。100点満点のテストで24点を取ったこともある。高校2年の夏に猛勉強して克服し、アメリカのクラーク大学に入学した。途上国支援には専門分野の勉強と英語力が必要と知って、その両方を身に付けるための選択だった。
渡米して1、2年は英語に苦労した。学びたかった教授が引退してしまったため、3年次からはジョージア大学に転学。それにより他の学生より多くの単位を取らなくてはならず、大学時代は睡眠6時間以下という勉強漬けの日々を過ごした。
途上国支援の仕事に就くには、現地での経験が必要になる。そこで青年海外協力隊に応募し、大学卒業後、2年間ザンビアに派遣された。
「実は同時にカリフォルニア大学デイビス校の大学院にも合格していました。2年間待ってもらって、ザンビアから帰国して入学し、国際農業開発学と水文学を専攻しました」
2つの修士号を取得しつつ、有山さんは時間を無駄にしなかった。教授からの修士論文のフィードバックを待っている間に、カリフォルニア州に就職したのだ。州の水資源で重要な位置を占める地域の管理機関で働いた。「途上国では先進国で得た知識が求められますから、アメリカでの勤務経験があって損はないだろうという判断でした。そこで経験を積もうと思いました」
2008年9月日本の高校から、クラーク大学へ進学(リベラルアーツ)
2010年5月ジョージア大学へ編入。
水および土壌資源専攻、
学士号取得。
カリフォルニア大学
デイビス校大学院に合格
2010年9月日本の国際協力機構(JICA)でザンビアでの活動に従事
2012年4月カリフォルニア大学デイビス校大学院入学。国際農業開発学専攻、水文学をダブル専攻
2014年12月デルタ管理評議会(カリフォルニア州政府機関)に勤務
2015年6月カリフォルニア大学デイビス校 両修士号を取得
2017年1月FAO近東・北アフリカ地域事務所で勤務開始
2年が過ぎて、気候が良く、多様な人々が暮らすカリフォルニアの生活が気に入り、ここで人生を送るのもいいかなと思っていた矢先、就労ビザの取得がうまくいかず、アメリカに滞在することができなくなってしまった。しかし有山さんはそのリスクを見越して、外務省が国際機関に人材を派遣するJPO(ジュニア・プロフェッショナル・オフィサー)に応募していた。
「転職文化のあるアメリカでは、仕事をしながらあちこちに応募するのは当たり前のことなので、苦労とは思っていませんでした」
挙げられた機関の中からFAOを第一希望に選び、合格してカイロの事務所に着任した。
有山さんは自身の人生設計で5年ごとの目標を設定し、4年目に入ると更新している。
「今はJPOで派遣されている立場なので、自分の力で国連のポストに就きたいです。30代半ばまでには博士号も取りたい。将来的には、サポートメンバーではなく、マネージャーか技術のトップになって、プロジェクトを自分で運営できるようになりたいですね」
途上国支援のための専門分野を勉強し、英語力を付けるために、日本の大学には行かずに留学。苦手だった英語は、高校2年の夏休みに同じ問題集を3回繰り返して克服した。奨学金が出るクラーク大学に入学したが、目当ての教授が引退してしまい、3年次にジョージア大学に転学。水と土壌資源学を専攻する。
途上国支援の仕事には途上国での経験が必要になるため、大学卒業後の約2年間は海外青年協力隊でザンビアへ。その後、農業分野では世界一と言われるカリフォルニア大学デイビス校の大学院に入り、国際農業開発学と水資源学を専攻。協力隊と大学院は同時に合格していたので、大学院に入学を待ってもらった。
先進国で経験を積もうと、カリフォルニア州政府に就職。2年後、JPOへ。「最初から国際公務員と決めていたわけではなく、目的達成の一つの手段だったので、本来はNGOやコンサルティング会社でもよかった。ただ、将来の生活プランを立てられるように、ある程度の収入が得られるところから就職先を選ぶつもりでした」
国連食糧農業機関(FAO)は、世界の農林水産業の発展と農村開発に取り組む専門組織。人々が栄養ある安全な食べ物を手に入れ、健康的な生活を送ることができる世界を目指し、1945年に設立された。主要なゴールは、飢餓・食料不安と栄養失調の撲滅、貧困の削減と全ての人々の経済・社会発展、そして現在および将来の世代の利益のための天然資源の持続的管理と利用、の3つ。196の加盟国(準加盟国を含む)とEUから構成され、本部はイタリアのローマ。
2017年には世界で約8.2億人近くが栄養不良の状態にあったと推定される。極端な気象現象や紛争などが、最近の飢餓人口増大の主要因であり、2030年までの飢餓撲滅(ゼロハンガー)を達成するという持続可能な開発目標(SDGs)の目標を達成するには更なる努力と行動の必要がある。国連食糧農業機関(FAO)、国連世界食糧計画(WFP)、国際開発農業基金(IFAD)、国際穀物理事会(IGC)などの食料・農業分野の国際機関では、多くの日本人が農林水産業、自然環境、事業計画などの専門知識を活かし、飢餓と栄養不良の撲滅を目指し世界各地で活躍している。外務省では、国際社会に貢献したい日本人の国際機関への就職を支援している。食料・農業分野の国際機関に関する各種情報については、外務省経済安全保障課のTwitterもご覧いただきたい。