1時間ジョギング後、朝食。仕事メールへの対応を済ませる | |
オフィス到着。 チームと緊急事項の確認 |
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アジア・アフリカ8ヵ国とビデオ会議 | |
パキスタン事務所とSkypeで 打ち合わせ |
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新規事業について同僚とブレインストーミングしながら昼食 | |
セネガル事務所とSkypeで ミーティング |
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来年度予算・計画書作成 | |
部長と戦略会議 | |
アルゼンチン政府と電話会議 | |
PCの前に戻り、デスクワーク |
グローバルに社会貢献ができる国際機関で働くには、どのようなステップが必要なのだろう。
いま活躍する日本人職員に、その道のりを聞いた
1時間ジョギング後、朝食。仕事メールへの対応を済ませる | |
オフィス到着。 チームと緊急事項の確認 |
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アジア・アフリカ8ヵ国とビデオ会議 | |
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セネガル事務所とSkypeで ミーティング |
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まるで蜘蛛の巣のように世界にはりめぐらされるグローバルサプライチェーン。原料が製品になり、消費者の手に届くまで、地球上のさまざまな場所を経由するその道のりは長い。そうした中、多くのグローバル企業が豊富な資源や安価な労働力を求め、途上国に次々進出している。この流れを受け、世界各地で「働く人の権利を守る」ため奔走しているのが、ILO(国際労働機関)ジュネーブ本部のシニア・スペシャリスト、荒井由希子さんだ。
「私たちは法律違反を取り締まる警察ではありません。いかにして企業、労働者、政府関係者と良好なパートナー関係を組みながら、国際労働基準とその原則を実現していくか。対話の架け橋となる役割です」
アフリカ、アジア、中南米など荒井さんの担当地域は多岐にわたる。西アフリカのコートジボワール、リベリア、シエラレオネなどの地域は内戦の末やっと平和が訪れ、企業も活発に進出している地域。ただ戦争や貧困で十分な教育が受けられず、企業が必要とするスキルを持つ人材が足りない。コスト削減のために雇い主が労働条件を切り下げ、低賃金に苦しむ若年労働者も多い。
荒井さんはこうした現状に企業と労働者の両面から問題に対応する。現状のみならず、10年、20年先の未来を見据え、必要な職種やスキルをリサーチし、マッピング(位置づけ)する。企業とともに人材育成について考え、その過程で「尊重すべき労働原則」や「社会的責任」についても知ってもらう。
さらに「国家行動計画」のフォーラムを開いて、大臣級の閣僚や労働者の代表、企業の責任者を一堂に集めたりもする。国の開発とビジネスの調和をどうはかっていくか、長期にわたるビジネス計画で雇用する側とされる側が人間らしい関係をどう作っていくのか。対話の場を設けて、自らファシリテーターを務める。
「雇用する側、働く人の代表、そして政府の三者全員にプラスとなる関係を目指します」
1994年12月大学訪問団の一員として
ペルーを訪問
1996年3月慶應義塾大学法学部法律学科卒業
1996年9月ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題
研究大学院(SAIS)入学
メキシコ教育省研究員や、米州開発銀行にてリサーチアシスタントとして勤務し卒業(国際経済修士号取得、ラテンアメリカ地域研究副専攻)
1998年5月世界銀行ラテンアメリカ・カリブ海地域局
人間開発部教育セクターに入行
中南米の大規模教育融資プロジェクト・調査に携わる
2001年1月国際労働機関(ILO)
ヤング・プロフェッショナルとして入り、ジュネーブ本部児童労働撲滅国際計画部に配属
2002年3月ILOアジア太平洋総局(バンコク)に異動
貧困削減および児童労働の専門家として配属
2003年6月同局付け貧困削減アナリストに
2005年11月ILO東京事務所へ出向、CSR(企業の
社会的責任)について調査研究
2006年4月ILOジュネーブ本部、多国籍企業局へ異動
シニア・スペシャリストとして、グローバル
サプライチェーンにおける労働問題、
CSRに携わる。グローバル企業の進出先に
あたる途上国での活動をリード・統括。
多国籍企業問題を扱うILO専門家ネットワーク
のコーディネーターも務める。
2013年3月ILO の無償休暇制度を利用し、
東京2020オリンピック・パラリン
ピック招致委員会国際部
ディレクターとして活躍
2013年11月ILOジュネーブ本部に復職
荒井さんが国際機関で働きたいと思った原点は大学生の時。ペルーの貧しい地域を訪れ、村で初めて学校ができて目を輝かせている子どもたちを見て、「すべての子どもたちが働く必要がなくなり、学校に行くことができる社会の構築に携りたい」と心に決めたことだった。
大学では法律、卒業後はアメリカのジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院(SAIS)で経済やラテンアメリカ地域の社会について学んだ。
「留学先のワシントンD.C.は国際機関や大使館が多く、現場で活躍する人たちが大学に来てカジュアルなトークの場を設けてくれた。そこでのディスカッションも勉強になりました」
留学中は大学院の勉強のみならず、実務経験も積んだ。在学期間中は米州開発銀行でリサーチアシスタントとして勤務し、夏休みはメキシコ教育省の研究員として、メキシコに3ヵ月滞在し、現地の教育事情に触れることができた。「留学中に途上国でのフィールド(実地)経験を積めたことは、その後のキャリアでも大変役に立ちました」
大学院卒業後は世界銀行に入り、ラテンアメリカ・カリブ海地域の教育部門に配属された。自身の関心に直結している仕事で、やりがいはあったが、「現場で仕事をしたい」という気持ちは日に日に強まった。
国連への勤務の第一歩となったのが、2001年、ILOのヤング・プロフェッショナル・プログラムに応募し、採用されたことだ。現在は募集を保留しているプログラムだが、当時は3000人が応募し、10人が選ばれるという難関だった。若手を対象としたプログラムで5年間、本部と途上国の地域事務所で勤務経験を積むことができる。荒井さんは本部勤務後、バンコクの事務所に派遣され、児童労働を含む労働問題に取り組んだ。
2006年からはジュネーブ本部に戻り、グローバルサプライチェーンの労働問題に携わりながら、多国籍企業の問題を扱うILO専門家ネットワークのグローバルコーディネーターも務める。
「今日の知識は明日には古い。最先端の情報に接するよう心掛けていますが、世界に散らばる留学時代の仲間と情報交換できるのはとても貴重で、学びが多いです」
「国連に入るにはどうしたらいいですか」という質問もよく受けるという荒井さん。「国連に入ることを目的とするより、自分のやりたいことを実現するオプションのひとつと捉えてほしいです。崇高な理念をもち、グローバルな課題を解決するために、ミッションと情熱を掲げて努力する。そんな数少ない職場が国連です。そこで何をしたいのかが一番問われるのだと思います」
子どもたちの貧困がなくなる日を目指して、今日も荒井さんは走り続けている。
大学院留学先のジョンズ・ホプキンズ大学は首都ワシントンD.C.にあり、国際機関の職員が学校を訪れ「ブラウン・バッグ・ランチ・ミーティング」(茶色い紙袋に入れた昼食を持ち寄って意見交換する勉強会)がよく開かれていた。「ディスカッションを通じて国際機関の実際の仕事内容に触れられた、貴重な経験でした」
留学先で夏休みなど長期休暇を利用して、途上国での経験を積むインターンシップなどの機会があれば利用する。荒井さんはメキシコの教育省でリサーチャーとして教育の現場に関わることができた。「ラテンアメリカの教育に関わることができ、結果として世界銀行に入行するときにその経験が評価されました」
世界中から集まった留学時代の友人と交流を深め、今もつながっている。幅広いネットワークからの情報が仕事に生かされることも多い。「186ヵ国の最新の状況に触れていなければいけない。現地のことをすぐ聞けて貴重な情報を与えてくれる友人の存在はありがたく、私にとって生き字引といえる存在です」
国際労働機関(ILO)は、国際労働基準を軸に雇用労働問題に取り組む国際機関。労働条件の改善を通じた「社会正義の実現」を目的とする。国連機関の中で唯一、政府・使用者・労働者の代表から構成され、三者およびパートナーは自由かつオープンに話し合い、国際労働基準を設定し、政策提案をする。活動分野は児童労働、ジェンダー、若年雇用、労働安全衛生、団体交渉と労使関係など。加盟国は186。近年では「公正なグローバル化のための社会正義に関するILO宣言」などにより、より多くのより良い仕事の創出を通じた、世界の持続的開発を促進する。
国際機関が日本人職員を増やすことを目的に、人事部長などの採用担当者をヘッドとした訪日団(ミッション)を派遣すること。国際機関の活動に加え、採用や人事制度の概要説明を行うものを「アウトリーチ・ミッション」といい、実際に採用を目的として面接を行うものを「採用ミッション」と呼ぶ。
ここ数年、毎年10月頃、国連事務局は複数の国際機関と共に「国際機関合同アウトリーチ・ミッション」を日本に派遣し、各地で説明会を行っている。通常、説明会の前半で各国際機関の概要説明が行われ、後半では面接指導などが行われるスタイルとなっている。
国際機関の人事担当者から直接話を聞くことができるため、国際機関での就職を考えている方には非常に参考となるイベント。