表参道の国連大学本部ビルに出勤 | |
所内ミーティングやメールチェック | |
日本企業との面会 途上国ビジネスに関する相談など |
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同僚やインターン生とランチ | |
ドナー担当として関係省庁等と打ち合わせ | |
UNIDO関係者の訪日に関する資料作成など | |
ウィーン本部と電話会議 国際シンポジウム等の開催前は頻繁に連絡 |
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オフィスを退社 | |
帰宅 |
グローバルに社会貢献ができる国際機関で働くには、どのようなステップが必要なのだろう。
いま活躍する日本人職員に、その道のりを聞いた
村上秀樹さんが勤務するUNIDO(United Nations Industrial Development Organization/国連工業開発機関)は、国連で唯一、産業に携わる機関だ。国連というと人道支援というイメージが強いが、開発途上国の人々がよりよい生活を送れるように産業面から支援を行う機関もあるのだ。
「UNIDOのミッションは、先進国の企業を開発途上国に誘致し、現地の産業振興や雇用拡大につなげることです。私はUNIDOの東京事務所で、日本企業がアジアやアフリカの開発途上国に進出して、ビジネスを展開するためのお手伝いをしています。主に人と人をつなげることが私の仕事です」
表参道の国連大学本部ビルに出勤 | |
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日本企業との面会 途上国ビジネスに関する相談など |
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日本企業が海外に進出したいと考えるとき、大きなハードルになるのが、人的ネットワークの構築だ。グローバル企業であっても自前の情報だけでは、開発途上国の現地事情は分からずキーパーソンとも会いにくい。そこでネットワークを使って、現地の行政機関の窓口などとの接点をつくるのが村上さんの役割だ。具体的な業務としては、年に10回程度、アジアやアフリカの開発途上国の「投資庁」にあたる行政担当者を日本に招き、海外進出を検討している企業と直接面会する機会をつくる。過去には、バングラデシュの投資庁の担当者と日本の大手アパレルメーカーとの面会を実現し、大きなビジネスにつながっていった事例もあるという。
「当然ながら、人と人とを引き合わせるだけで、ビジネスがすべてうまくいくことはありません。山あり谷ありのいろいろな困難があり、ほとんどは種まきから4~5年がかりのプロジェクトになります。それだけに熱意を持って開発途上国に進出した日本企業が、現地でビジネスをスタートした瞬間を見ると本当にうれしく、大きなやりがいを感じます」
1999年3月東京大学教養学部教養学科卒。
1999年4月松下電器産業株式会社(現パナソニック)入社。海外マーケティングを担当する。在職中に社内制度を利用して、ドイツ留学を経験。
2003年8月米インディアナ大学ブルーミントン校行政環境大学院(SPEA)へ留学。公共政策学修士号(MPA)取得を目指す。
2004年5月大学院留学中にUNIDOウィーン本部でインターンシップを経験。
2005年10月MPA取得後、アイ・シー・ネット株式会社に就職、開発コンサルタントとして勤務。
2006年5月JICAインドネシア事務所
で貿易投資環境整備の企
画調査員の職を得る。
2007年11月JPO試験に合格し、UNIDOウィーン本部で勤務開始。
2009年10月UNIDOナイジェリア地域事務所へ異動。
2013年1月UNIDO東京投資・技術移転促進事務所で勤務開始、現在に至る。
今でこそ国と国の架け橋となる仕事をしている村上さんだが、学生時代はUNIDOの存在すら知らなかった。当時はメーカーの仕事に関心があり、大学卒業後、松下電器産業(現パナソニック)に就職した。
学生時代にイギリスでの短期留学を経験していた村上さんには、将来英語を使って仕事をしたいという目標があった。そこで、松下電器産業では、海外マーケティングの部門に所属。会社の海外派遣制度を使って、ドイツ留学も経験した。ところが、海外を舞台にした仕事を続けるなかで、開発途上国の人々の生活を豊かにするような仕事をしたいという気持ちが芽生えるようになっていったという。
「企業の利益追求を否定するつもりはありません。ただ、社会人になってやっと自分が本当にやりたい仕事に気付いたんだと思います。きっかけは、学生時代のイギリス留学の帰りに立ち寄ったインドでの経験だったかもしれません。ホームレスの人々が街中に溢れる光景は、ずっと心に焼き付いていたんです」
そこで村上さんは一念発起し、松下電器産業を退職し、アメリカの大学院留学を決意する。留学先は、インディアナ大学ブルーミントン校行政環境大学院(SPEA)。ここで公共政策学の修士号MPA取得を目指した。留学した理由は、国連機関で働こうと考えたから。採用を視野に入れた際、大学院の修士号取得と一定の語学力は必須条件だった。
「英語で学ぶ環境に不安はありましたが、ドイツ駐在を経験していたこともあり、すんなり馴染むことができました。MPAは公共政策におけるMBAのようなものです。修了するためには、実務経験が必要で、在籍中に長期のインターンシップをするのが通例です。それならば国連で職務経験を積みたいと考えた私は、友人のアドバイスを受け、30~40の国連機関のインターンシップに応募し、合格通知を受けたのがUNIDOでした」
ここで初めてUNIDOの存在を知ったという村上さん。修士1年次の5~8月の3ヵ月間、ウィーンの本部で海外技術支援プロジェクトのための資料作成などを担当した。大学院で資料をまとめて英語論文を書いた経験、多様な価値観の人々とコミュニケーションを築いてきた経験、グローバル企業の最前線で働いた経験など、これまでの足跡がすべて業務に役立つことを実感した村上さんは、ここで国連機関で働くための自信をつけていく。そして、大学院修了後、開発コンサルタントやJICA現地調査員などの仕事を経て、2007年に外務省が行うJPO試験に合格。インターンシップ先でもあったUNIDOのウィーン本部で働きはじめる。そして、2013年から東京事務所で現在の職務を担当している。
「国連機関で働く上で、専門性が足りないと悩みを抱えている人が多いのですが、企業での勤務経験が大きな強みになるUNIDOのような国連機関もあります。SDGsの普及などもあり、今後、民間企業と国連の協調関係はますます強まっていくでしょう。開発途上国の経済発展を支援するUNIDOの活動をもっともっと広く知ってもらうために、精力的に活動を続けたいと思っています。
大学卒業後、松下電器産業に就職し、海外マーケティングを担当。社内の海外派遣制度を利用して、ドイツ留学も経験する。海外で働くなかで開発途上国を支援する仕事を志すようになり、入社4年で退職。米インディアナ大学ブルーミントン校行政環境大学院に留学し、公共政策学修士号取得を目指す。
大学院留学中の2004年に国連でのインターンシップに応募。UNIDOから合格通知を得て、ウィーン本部で、海外技術移転の業務をサポートする仕事を経験する。英語を使った資料作成などを担当するなかで、大学院で語学力を鍛えた経験、一般企業で働いた経験がすべて役立つことを実感する。
大学院で公共政策学の修士号を取得後、2005年にJPO試験に挑戦するも不合格に。原因は開発関連の業務経験不足と自己分析し、一般企業での開発コンサルタントやJICAインドネシア事務所での企画調査員の仕事を経験。念願のJPO試験合格を果たし、UNIDOウィーン本部で勤務を開始した。
国際連合工業開発機関(UNIDO)は、開発途上国などにおいて、広く持続可能な産業開発を促進し、また対象となる国々の持続的な経済の発展を支援する機関。包摂的な産業開発としてすべての人々に公平に恩恵をもたらし貧困を減らすこと、また持続可能な産業開発として経済発展と環境保護の両立を目指している。本部はオーストリアのウィーン。世界49ヵ国に地域事務所、3都市に連絡事務所、日本を含む8ヵ国に投資・技術移転促進事務所を設置している。加盟国は168ヵ国。
国際機関における業務は大きく本部業務(管理部門)とフィールド業務に分けられ、それぞれに異なる専門性が求められます。
管理部門の専門分野の主な例は、人事、法務、財務、予算、広報、調達、IT、統計分析等で、これらの分野の職歴は民間企業で積むことができることがほとんどです。民間企業での経験は即戦力として有益です。
フィールド業務の専門分野の主な例は、開発、平和構築、保健医療、人権、難民、教育、食料、水産、緊急援助、環境、住宅、都市計画、防災等が挙げられます。これらの分野の職歴は、開発コンサルティング企業、国際協力NGO、JICA海外協力隊、国連ボランティア等、国際的に活動する組織で積むことが多いです。
国際機関で専門職員として働くためには、その専門性を裏付けるものとして、ほとんどの場合修士号以上の学歴に加えて、上記のような関連する分野での最低2年間の職歴が必要です。