メールチェック。さまざまな国の現地情報を収集&アップデート | |
イベントの招待状や出席者リスト作成 | |
幹部が出席する会議の資料作成。チーム内で協議し、変更を加える | |
イベントのプレスリリースを作成 | |
UNICEF幹部のメディア対応をアレンジし、取材を手配する |
グローバルに社会貢献ができる国際機関で働くには、どのようなステップが必要なのだろう。
いま活躍する日本人職員に、その道のりを聞いた
メールチェック。さまざまな国の現地情報を収集&アップデート | |
イベントの招待状や出席者リスト作成 | |
幹部が出席する会議の資料作成。チーム内で協議し、変更を加える | |
イベントのプレスリリースを作成 | |
UNICEF幹部のメディア対応をアレンジし、取材を手配する |
「紛争地域など、生活が困難な環境にいる子どもたちを支援したいんです」
ユニセフ(UNICEF)の東京事務所で2014年8月、コミュニケーション担当官に着任した佐々木佑さんは、穏やかな笑顔でこう話す。高校生のころからの夢だった仕事に、ようやく就くことができた。
佐々木さんの任務は、貧困などに苦しむ子どもたちの状況やユニセフの戦略・活動などを日本政府に伝え、政府の拠出金というかたちで支援を得ること。最近の例でいえば、エボラ出血熱で孤児になったり、シリアの紛争で難民になったりといった境遇の子どもたちだ。
ユニセフは世界各地150以上の国や地域で活動している。世界中にいるスタッフと連絡を取り合いながら、子どもたちに何が起こっているのか、どんなニーズがあるのかを把握する。子どもが幸せに暮らす権利を守るため、必要な資金をODA(政府開発援助)などのなかから割り当ててもらえるよう、日本政府に働きかける場を設定する。
「外交政策における優先順位も考えて、時にはユニセフと日本政府、双方に有益で効果的な戦略をアピールするなどの工夫をしながら、対話を図ります」
もうひとつの役割は、一般の人にユニセフの活動や日本政府の支援を知ってもらうことだ。そのため日本ユニセフ協会と連携しながら世界の現場にいる職員や幹部へのメディアインタビューも設定する。
1996年8月~(10ヵ月間)アメリカ・ネブラスカ州交換留学
Ayusa Internationalの特待奨学生として1年間留学。アジア人として差別を経験し、ネイティブアメリカンの少女と出会い国際協力に興味を持つ
1998年4月国際基督教大学・国際関係学科入学
2000年8月~(1年間)カリフォルニア大学サンディエゴ校へ交換留学
ラテンアメリカ政治などを学び、異文化の壁を克服するために積極的に友だちを作る。今でもルームメイトの結婚式に行くなど友人との絆を深めた
2002年4月株式会社コスモ・ピーアール入社
2005年9月コロンビア大学ティーチャーズ・カレッジ入学
(専攻:International Educational Development)
発展途上国や紛争国における教育に関わるさまざまな問題を、国際機関を通じて支援する方法を学ぶ。多国籍の友人たちからも刺激を受けた
2006年5月在学中から国連開発計画(UNDP)ニューヨーク本部にてインターンシップ。その後コンサルタントとして勤務
2007年10月帰国。デロイト トーマツ コンサルティング株式会社にてコンサルタント勤務
2010年9月公益社団法人セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンにてプログラム・オフィサーとして勤務
2012年12月~2014年7月特定非営利活動法人オックスファム・ジャパンで政策提言チームのアドボカシー・オフィサーとして勤務
2014年8月~現在UNICEF東京事務所コミュニケーション担当官に就任
© UNICEF/Tokyo2014-0040/ Jojima 現場のスタッフやユニセフ幹部、政府関係者をつなぐ役割を果たす佐々木さん。内部の資料作成も、メールのやり取りもほぼすべて英語だ。特に重要なのは、「書く力」。自分の意思をきちんと伝え、相手が納得できるビジネスレベルの英語力が必須だという。
「東京にいながら、世界中の職員から情報を得ているので、現地との結びつきをひしひしと感じられるのが醍醐味。日本にいながら問題解決に貢献できるのがうれしい」
佐々木さんが国際協力の道を志すきっかけとなったのは、高校でのアメリカ留学だった。
ネブラスカ州にある人口360人程の小さな町でアジア人はほとんどおらず、学校でもホームステイの滞在先でもひとりぼっち。
「じろじろ見られるのは当たり前で、初日のランチでフライドポテトを投げられました」
それでも10ヵ月間を乗り切り、帰国までわずかとなった数日間は、ホストファミリーの都合で、サウスダコタ州で過ごすことになった。そこでの出会いが、佐々木さんの人生に大きな影響を与えることになる。
ホームステイ先に白人の両親と小学校に入る前の養女がいた。ネイティブアメリカンの血をひく女の子は居住地で貧しく育ち、母親が妊娠中もアルコール依存だったため生まれながらに学習能力に障がいがあった。両親はその子を実の子のように大切に育てていた。
「子どもたちは自分の境遇をコントロールできるわけはない」
自分がいじめられた経験もあり、佐々木さんはその「無力感」を全身で受け止めた。
「でも、人生は生まれ育つ環境で大きく変わる。子どもたちが幸せに生きる権利を守る仕事をしたい」
それから大学で国際政治を学んだ。将来はNGOや国連などの国際機関で働き、教育のプロジェクトに関わりたいと考えた。しかし、ユニセフへまでの道は平たんではなかった。
大学卒業後は社員が50人ほどのPR会社に就職。プレスリリースの作成、記者会見の企画、開催を手がけた。2年後、国際協力の道が諦めきれず、米コロンビア大学大学院で国際教育開発を専攻した。「夢に向かって努力する仲間たちに刺激を受けた」という佐々木さんはニューヨークの国連開発計画(UNDP)で半年インターンを経験し、オランダ、ノルウェー、ネパールなどの仲間と働く。
今でも留学時代に出会った世界各地の友だちの存在が励みになっている。高校のとき孤独な留学生活を過ごしたため、大学時代の留学では逆に「積極的にクラスメイトに声をかけた」。英語のハンデについても正直に打ち明けると、スタディグループに誘ってもらったりして出会いも経験も広がり「楽しくて仕方がありませんでした」
英語のコミュニケーション力のなかでも、現在の仕事に役立っているのは「書く力」。留学中論文やレポートを大量に書いたり、ビジネス文書を作成したり、PR会社で「わかりやすく相手を説得する」スキル身に付けたのが役に立っている。国際機関で仕事をしたい人には「英語のほかにもう1ヵ国語を習得するのがおすすめです」
開発途上国での経験が国際機関での就職では大きなアピールポイントとなる。佐々木さんは大学院留学時代にインターンとして国連事務所で働いた経験、帰国後「セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン」で南スーダンに行ったり、東日本大震災の被災地に滞在したりした「現場の経験」が今の職務を遂行するうえでのベースとなっている
卒業後は開発途上国で働きたいと思っていたが、父親が他界。「今まで応援してくれた母のそばについていたい」と、帰国した。当時27歳だった佐々木さんは、外資系コンサルティング会社で働くことになった。国際協力の道は諦められなかったが、上司のひと言が支えになった。
「まわり道だと思うかもしれない。でもここで手を抜いてはいけないよ。ひとつひとつ、仕事をきちんとやれば、必ず次につながる」
大学院時代の友人たちが海外で活躍している姿に焦りを感じたこともある。しかし結果的に、3年間民間の会社で身に付けた経営スキルは、今の仕事に活きている。
「まわり道もたくさんしましたが、やりたいことがあれば前に進める。留学して、人と出会い、自分を発見できたからこそ、好きなことを見つけられたのだと思います」
国連をはじめとする国際機関への就職の方法で最も基本的なもので、職員の退職やポストの新設等によって欠員が生じた場合にWEB上で国際的に公募される。応募したい空席ポストがあり、資格要件を満たしている場合、所定の応募要紙を国際機関のWEBから入手・記入し、国際機関に直接応募する。外務省の国際機関人事センターでは、2週間ごとに主要な国際機関の「最新の空席情報」をHPに掲載。
子どもの権利を推進する国際機関として戦争に苦しむ子どもを支援するため1946年に設立。国連で採択された「子どもの権利条約」を指針とする。150以上の国や地域で社会サービスの支援活動を展開。支援内容は衛生、教育、保健、保護など多岐にわたる。世界各地の現状を発信し、国際社会での認知を高めているほか、子どもの権利の代弁者として各国に政策提言をする。活動資金は個人や企業、政府の寄付や政府の拠出金。