2002年4月早稲田大学社会科学部入学
2007年8月米国ニュースクール大学大学院入学「国際
情勢学・人権」専攻
2008年6月香港の人権NGOにて、ネパールにおける
拷問の問題およびカーストに基づく差別の
問題に携わる
2008年9月国連人口基金NY本部で学生コンサルタント
としてジェンダーに基づく暴力プログラム
に従事
2009年1月国連女性開発基金NY本部で
学生コンサルタントとして女性、平和安全保障に
関する国連安保理決議等に従事
2009年6月国連経済社会理事会NY本部・障害者
権利条約事務局にてインターンシップ
2009年9月国連人権高等弁務官事務所ジュネーブ本部・
女性差別撤廃条約事務総局にて
インターンシップ
2011年6月国連開発計画カンボジア
事務所にてジェンダー
に基づくGBV専門官として勤務
2014年3月JPOとして国連ボランティア計画ボン本部
にてジェンダー分析官として勤務開始
同じ女性の境遇の違いに
カンボジアで衝撃を受けた
ジェンダーの問題に深くかかわるようになったきっかけは、カンボジアでのフィールドワークだった。
「カンボジアで同世代の女性に出会ったのですが、彼女は人身売買の被害者で、背景には貧困問題があった。たまたま私は東京、彼女はカンボジアで生まれたけれど、場所が違えば私が彼女の立場だったかもしれない。私は日本で問題意識もなく生きていていいのか。何か行動をしなければと強く思いました」
大学院を卒業後の2011年、広島平和構築人材育成事業の研修生として、UNDPカンボジア事務所に駐在した。国連開発計画という組織で、GBV(性にまつわる暴力)の専門官として、政府やNGO、地元のボランティアスタッフとともに問題解決に取り組んだ。
海外留学を志したときはまだ、自分の進む道ははっきりしていなかったが、外国語が堪能だった祖父の勧めがきっかけになった。
「英語でコミュニケーションできれば出会う人の数が増える。夢は何でもいいけれど、語学をツールに世界を見ないといけない」
アメリカでの留学当初は言葉がよくわからず、右往左往の連続だった。
「キャンパスで学生IDをつくるのに事務のスタッフと英語が通じず8時間かかって泣く泣く帰りました」
英語を質問できる友だちをつくり、毎クラス後、先生にわからないところを聞きにいき、必死にくらいついた留学時代。「どんな環境でも切り拓くことができる」という自信が後にインターンや仕事で滞在した香港、ジュネーヴ、カンボジアでの経験にいきた。
カンボジアでは家庭内暴力や人身売買など、問題に直面した女性たちが、どのようにしたら第三者に助けをもとめやすいシステムができるのかを考え、都市部のみならず、地方にも頻繁に足を運んで「ワンストップ」(一連の手続きが一度にできる)のサービスを提供するシステム作りに貢献した。
「自分が少しでも世の中に貢献できることがある。この思いが私のエンパワーメントになり、国連で働いていく動機になりました」
人間はみな平等、の理念のもとボランティアと力を合わせる
3年間勤務したフィールドを離れ、14年から本部に勤務したのは、「ジェンダーの問題を法的観点や経済的自立など、もう少し大きな視点で考えたかったから」と話す。
国連には紛争を逃れ、難民だった職員などもいる。強い使命感を持つ同僚たちに圧倒されたこともあるが、今は自分として、日本人として「自分のものさし」に自信を持てるようになった。
「例えば私の母は相手が社長でも、ホームレスの方でも一緒に同じように話をする。人間はみな対等というのは人権の基本的な考え方ですよね。もし、ほかの人と同じ権利が享受できない人がいるならば、何かしなければいけないと思う。この気持ちはみな一緒。国連で働けば問題に関われる機会が多くなる」
いつも心を揺さぶられるのは、各国で働くボランティアスタッフの存在だ。自分たちの生活が豊かではなくとも、このような活動に身を捧げる人も多い。「この問題を解決したい」という強い決意で携わっている。
ボランティアのためにも、世界の人々のためにも、ボランティアの活動や取り組みを伝えることが重要と感じている。
「問題に向き合う姿勢やコミットメント(かかわり)の度合いがとても強く、刺激を受けます。このような人たちに出会えたのが国連で働く喜びなのです」