車で5分の事務所に出勤 | |
事務所内メンバーとミーティング | |
手作りランチで昼食 | |
教育省とのミーティング | |
事務仕事 | |
帰宅、1時間ほどジムへ | |
夕食 | |
プロジェクトレポートや 教材のチェックなど2時間ほど行う |
グローバルに社会貢献ができる国際機関で働くには、どのようなステップが必要なのだろう。
いま活躍する日本人職員に、その道のりを聞いた
西アフリカのマリの小学校には、底抜けに明るい子供たちの笑顔があふれている。
「私たちが支援する子供たちがちゃんと学校に行けて、しっかり学んでいるのを見ると、やりがいを感じますね」
と話すのは、ユニセフ・マリ事務所で教育部門を担当する井本直歩子さんだ。先日訪問した学校では、次々に生徒に話しかけられ、みんなで感謝の気持ちを込めた歌を大合唱してくれた。
マリでは子供の約半数しか学校に通っていない。しかも働くために中退する子が多く、小学6年生まで通い続ける生徒は半分に満たないという。そんな状況を変えようと、井本さんは学校に通える環境を整え、教材を作り、教員の研修や平和教育に取り組んでいる。
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教育省とのミーティング | |
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帰宅、1時間ほどジムへ | |
夕食 | |
プロジェクトレポートや 教材のチェックなど2時間ほど行う |
学校に行けば、子供たちは読み書き、計算を身につけられる。しかし、効果はそれだけではないと井本さんは言う。
「脳が発達して思考力がつき、発言が増えます。それまで質問してもなかなか答えられなかった子供たちが、どんどん話ができるようになっていく。自信もついて前向きになります。数ヵ月で大きく変わりますね」
最近はテロ予防策としても学校教育が注目されている。子供に教育の機会を与えて思考力を養い、善悪の判断ができるようになれば、テロリストに勧誘されにくくなるからだ。逆に学校に行っていない子は標的にされやすい。
「考える力が弱く、家族も仕事がなくてみんなお腹をすかせていると、少しのお金や食べもので言うことをきいてしまいます。気がついたときには抜けられなくなっています」
アフリカでは女の子のおかれている状況も厳しい。幼いころから当たり前のように家事をして、13、14歳で結婚する子もいる。井本さんはガーナ人の友人から「アメリカ人と結婚してアメリカに行くのが夢」と言われてショックを受けた。
「家事以外の仕事がほとんどなく、職業を選べないから、夢が持てないんです。でも、教育を受けて自分の意見を持ち、堂々とできることを示せるようになれば少しずつ変わっていくと思います」
1994年10月アジア大会50m 自由形優勝、400m
リレーで日本記録を樹立
1996年7、8月アトランタ五輪4×200mリレー4位入賞
1999年12月スポーツの奨学金を受け、アメリカ・
サザンメソシスト大学(国際関係学)卒業
2000年4月現役を引退し、慶應義塾大学に復学中執
筆活動を開始、スポーツジャーナリストに
2003年12月マンチェスター大学にて修士号取得(貧
困・紛争・復興)。JICA(国際協力機構)
インターンとしてガーナ共和国に派遣
2004年9月JICAシエラレオネ企画調査員として従事
2005年8月JICAルワンダ企画調査員として従事
2007年10月ユニセフ(国連児童基金)・スリランカ事務
所で教育分野の支援を担当
2010年8月ユニセフ・ハイチ事務所、教育担当官として従事
2011年4月日本ユニセフ協会東日本大震災の緊急・
復興支援活動にユニセフから応援派遣、
教育部門の支援を担当
2013年12月ユニセフ・フィリピン事務所 タクロバンにて
教育部門の支援を担当
2014年9月ユニセフ・マリ事務
所、教育専門官と
して学校再開事業、
平和促進などに携
わる
ふんわりとしたやさしい口調で語る井本さんだが、実はオリンピックで入賞した経験がある。1996年のアトランタ五輪の水泳4×200メートルリレーで4位入賞の成績を収めた。水泳選手から途上国支援へ、いったいどのような道をたどったのだろうか。
中学2年生から水泳の国際大会に出場していた井本さんは、各国の選手と泳ぐうちに、不平等を感じるようになった。途上国から来た選手はタイムが遅いしフォームもめちゃくちゃ。練習するプールがなかったり、コーチがいなかったりするからで、背景には紛争や貧困があった。
「自分はすごく恵まれている。水泳で夢を叶えたら、次は貧しい人のために国際機関で働きたいと思い始めました」
慶應義塾大学総合政策学部に進み、20歳でアトランタ五輪に出場。その後、水泳で奨学金を得られるアメリカのサザンメソジスト大学に留学し、国際関係論を専攻した。
留学するまで、英語はほぼ学校の授業だけで勉強してきた。渡米時はあまり話せなかったため、3〜4ヵ月は語学学校に通った。
「日本人とは仲良くしないで、英語だけで過ごしました。これから留学される方は日本語を話さない環境をつくるといいと思います」
大学卒業後、橋本聖子参議院議員の秘書を1年務め、今度は英国のマンチェスター大学大学院で紛争と平和構築を学んだ。
いよいよ途上国支援の仕事を始めようと、まずはガーナでJICAのインターンをした。
アフリカで虫や衛生面、治安など、自分が途上国の環境に適応できるか試すつもりだった。行ってみると、
「水を得た魚のようでした。プロジェクトを現地の人と一生懸命つくっていくプロセスが楽しくて、この世界にどっぷりつかってしまったのです」
JICA企画調査員としてシエラレオネ、ルワンダに勤務後JPO派遣制度に合格し、ユニセフの教育担当官としてスリランカ、ハイチなどで活動を続けた。半年から3年ほどの任期を終えると帰国してしばらく休み、ユニセフが募集しているポストに応募して次の仕事を見つける。いままでの経験、論文、面接などで採用が決まる。
「自分でプロジェクトを実施するのが好きなので、現場で働きたいと思っています。ただ、年齢的にはマネジメントに転じることも考えないといけない時期。出世欲はあまりないので、本当は現場の技術者でいたいのですが」
次はギリシャへの赴任が決まっている。井本さんの活動はまだまだ広がりそうだ。
※本インタビューは2016年6月に行われた。
英語は絶対に100点をとろうと、中学、高校の授業では一語一句もらさず勉強した。水泳の海外遠征では、学校で習った単語や文型を全部使って積極的に会話した。「遠征から帰ってきて学校でcanを習ったときは、なんで行く前に教えてくれなかったんだろう、canを知っていたらもっと話せたのに、と思いました」。
1日6時間の水泳部の練習と英語での勉強を両立させる。学業で一定の成績を収めなければ水泳の試合に出られない規則もあり、「あのときがいちばん辛かったですね。とくに大量の文献を次の授業までに読まないといけないのがきつかった。ひとつの教科で100ページは当たり前。もう涙を流しながら読んでいました」。
国会議員秘書を1年間務め、1年で修士号が取れるイギリスの大学院に留学。紛争について学べる3つの大学院から、大好きなサッカー観戦もできるマンチェスター大学大学院を選ぶ。頻繁にサッカーの試合を見に行き、一夜漬けで論文を書いたことも。「短い時間で仕上げた課題のほうが点数はよかった(笑)」。
ユニセフは、乳幼児から青年期までの子供たちの命と健康を守るため、世界190ヵ国で活動している国際機関。すべての子供たちの権利が守られている世界を実現させるために、保険、栄養、衛生、教育、アドボカシー(政策提言)活動などを実施。2014年の活動では、約27億のワクチンが届けられ、また3,200万人が安全な水を飲めるようになった。本部ニューヨーク、全職員の85%が現地事務所勤務。
国連をはじめとする国際機関で勤務するのに、正規職員ではなく、コンサルタント契約で勤務する方法がある。通常「コンサルタント」という言葉から、何らかのアドバイスを行う特定の職種をイメージする人が多いが、国際機関のコンサルタントは、正規職員とともに特に定められた業務を専門性を活かして取り組む。コンサルタント契約で勤務している人を国際機関では便宜的に「コンサルタント」と言っている。契約期間は、ほとんどが1年以内のいわゆる短期。
国際機関で正規ポストを得るきっかけとして、どのような形でもまず、中に入って具体的に仕事をし、自己の能力を発揮して認めてもらうことが重要だ。コンサルタントから正規職員になる人も多くいる。