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留学で自分が変わる、留学で新しい自分を見つける あなたの留学、「何色」ですか? Vol.4

# 雑誌留学ジャーナル

公開 : 2021.12.16

2021年、留学ジャーナル社は創業50周年。スローガンである“世界は思っているより「カラフル」。”をテーマに、留学が人生のターニングポイントとなった人をインタビュー。10代のころから音楽業界で忙しく働き続けて約10年。「今しかない」とアメリカへ飛び立った三井悠加さんは、さまざまな出合いから起業をするに至った。多様性に富んだカラフルな世界で、自分の色を見つけるまでのストーリーとは?

TEXT : Natsuko Nose, Ryugaku Journal
※本稿は『留学ジャーナル2021年11月号』の記事を抜粋・再編集したものです。

「今しかない」 30歳を目前に決意した社会人留学

「今行かないと、もうチャンスはないかなって思ったんです」

音楽業界で働いて約10年、三井悠加さんが留学を決意したのは29歳の時だった。専門学校で彫金を学び、将来は職人になりたいと考えていた時期もあったそうだが、卒業後は芸能プロダクション業に就き、忙しい日々を送っていた。

「当時は現場スタッフとして、年間200本以上の公演で全国をまわっていました。毎日充実していたし、目の前のことをこなしていくのは楽しかったです。でもふと立ち止まった時、自分はどれくらいこの業界のことを分かっているのだろうと疑問に思って。もちろん英語を身に付けたいのもありましたが、エンターテインメントビジネスを本場ロサンゼルスで学べば、何かプラスになるかもという期待もありました」

こうして三井さんはアメリカへ向かった。2年間でエンタメ業界の知識を付けて会社に戻る、という約束で。

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間違ってもいい 話すことから始まるコミュニケーション

最初に通ったのは語学学校。まずは英語力を身に付ける必要があった。

「旅するのと住むのとでは全然違うなと思いました。29歳って日本では完全に自立した大人だと思っていたのに、英語が話せないと、欲しい物が買えない、行きたい所に行けない。まるで子どもに戻ったみたいでした。それでまずは話せるようにならなきゃ、って」

語学学校では下から2番目のクラスからスタート。ブラジル、サウジアラビア、フランスなど世界各国から集まるクラスメートの積極性に最初は圧倒されたという。

「授業中、クラスメートたちはすごくよくしゃべるんです。私は考えすぎてどんどん無口になっちゃって。同じクラスにいるのにどうしてあんなにしゃべれるのか、先生に聞いたことがありました。そしたら『よく聞いてごらん、あの子たち文法はめちゃくちゃでしょ?でもコミュニケーションを取ろうとしゃべっている。文法を気にしすぎないで、とにかくしゃべってみればいいんだよ』と。このアドバイスを機に、正しい英語で話せなくても、コミュニケーションを取れた方が面白いよね、と思えるようになったんです」

会社から三井さんに与えられた2年間を最大限に生かすため、留学して約半年後にはカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)のエクステンション※でエンタメビジネスのコースに通い始めた。

「語学力はまだまだ不十分だったのですが、とにかく時間が惜しかったんです。ライセンスビジネスなど法律に関する授業は専門用語が多く出てくるので特にレベルが高く、毎回授業を録音して、それを何回か聞き直してやっと理解できるくらい。でも、講師は第一線で活躍する弁護士で、クラスメートはエンタメ業界で働いている社会人たち。仲間も多くつくれたし楽しかったです。他にもツアーマネジメントなんかも学びました」

昼間は語学学校に通い、夜はUCLAで学びながら、現地のエンタメ企業でインターンやボランティアもしていたのだという。ハードな毎日が苦にならないほどに充実していたのだろう。

「留学当初は、もっと若い頃に留学しておけばよかったなと思うことも。でもUCLAに通うようになって、やっぱり経験を積んでから留学してよかったと思い直しました。日本での経験を元に授業を受けられるので、日米のエンタメの違いもすぐに分かったし『あ、これビジネスにしたら面白いかも』という気付きもありました」

そんな日々を送る中、語学学校でのある体験がその後の三井さんの人生を大きく変えた。

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日本では気付けなかった新しい視点をヒントにアメリカで起業!

もともと職人を志していた三井さん。留学前はコンサート業務の他にアーティストグッズの製作にも携わっており、浮世絵の版元と知り会う機会もあった。

「私はその時まで浮世絵は江戸時代のアートだと思っていたんです。しかし実際は現在もわずかに残る職人たちがその技術を継承していること、浮世絵は絵師、彫師、摺師(すりし)とプロデューサーである版元がチームで作る総合芸術だということを知りました。そこから個人的に興味が湧いて浮世絵について勉強をするようになったんです」

そんな経緯もあり、語学学校で自国の文化を発表する際は迷わず浮世絵をテーマに選んだ。クラスメートの反応は思いもしないものだったという。

「日本人ならではの細やかさやチームワークの良さを、私が持っていない視点から褒めてくれたんです。日本では大衆文化だった浮世絵が、ヨーロッパではアートの文脈でジャポニズムとして評価されたように、アイデンティティーって自分の主観で決めるものでなく、誰かに気付かされて確立されていくものなんだと思いました。私が日本を外から見て、その良さに気付いたのと同じように」

この反応を受け、「海外で浮世絵をやったらどうですか?」と浮世絵の版元の方に提案すると、返ってきた回答は「じゃあやってよ」。三井さんの中でいくつもの点が線となり、留学後の予定は「日本に帰国」から「アメリカで起業」にいつの間にか変わっていた。こうしてエンタメビジネスと浮世絵の企画・制作・販売を行う「UKIYO-E PROJECT」を手掛ける会社を2014年に設立。ロック・バンドKISSやデヴィッド・ボウイなど"浮世(=現代)"のポップアイコンとのコラボレーションを実現させた。

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LA留学を色で例えると抜けるような青空、海、再来の青春を表すブルー

「私の留学を象徴する色はブルー。ほとんど雨が降らない快晴のロサンゼルスの空と海の色。あとは二度目の青春だったという意味もあります」

留学が人生のターニングポイントとなったと振り返る三井さん。時には考え過ぎずに行動することも必要だと言う。

「これからの時代、何が起こるかなんて誰にも分からない。だからこそ自分の感性やクリエーティビティが大事になるんじゃないかと思うんです。同じ考えや背景を持つ人との居心地のいい世界から未知の世界へ踏み出し、さまざまな価値観に触れることで、豊かな感性は磨かれるのではないでしょうか。そういった成長の機会を与えてくれるのが留学なのだと思います」

【プロフィール】
06_2.jpgプロフィール/みつい・ゆか。1982年生まれ。10代の頃から父親が経営する芸能プロダクションにてマネジメント業務を行う。29歳の時にアメリカ・ロサンゼルスへ留学。クラスで浮世絵について発表したことがきっかけとなりUKIYO-E PROJECTを立ち上げる。2015年にはKISSとコラボした『接吻四人衆大首揃』(写真右)を発表するなど、現代のスターや風景を描いた浮世絵の制作・販売を手掛けている。

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