2021年、留学ジャーナル社は創業50周年。スローガンである“世界は思っているより「カラフル」。”をテーマに、留学が人生のターニングポイントとなった人をインタビュー。50歳のとき、ニュージーランドに渡ることを決めた岸本さん。その留学の色は「黄色」だったという。多様性に富んだカラフルな世界で、自分の色を見つけるまでのストーリーとは?
TEXT : Natsuko Nose, Ryugaku Journal
※本稿は『留学ジャーナル2021年5月号』の記事を抜粋・再編集したものです。
51歳での留学デビューが人生の大きな転機に
「楽しいことがしたいという気持ちが湧き起こらなくなったら終わりかな。今も昔も、自分にとってはそれが一番強い欲求」
大学卒業後、プログラマーとして数々のゲームを世に送り出してきた岸本好弘さん。中にはミリオンセラーを記録したゲームもある。どれだけ残業が続いても、仕事は楽しいことだった。
「当時、留学経験のある若い社員たちから『留学、楽しいですよ』って聞いていたんです。その頃はそんなわけない、なんで外国に行ってまで勉強しなきゃいけないんだ、と思う一方、そんなに楽しいってどんなもんだろう、と気になっていました」
転機は50歳を過ぎた頃に訪れた。父親を亡くし少しした後、突然勤めていた会社を離れることに。そんな中、岸本さんはひそかに思っていた。これからどんな楽しいことをしようか。それには、留学という選択肢もあるのではないかと。
「人生において、自分自身の意思で決められることって、そんなに多くないと思っているんです。特に大きい分岐点は向こうからやって来る。まさにこの時がそう。私はこの状況を”チャンスだ、留学に行け”と背中を押されていると捉えたんです」
「留学、楽しいですよ」という言葉は本当なのか。自ら体験すべく、かくして、岸本さんは半年間のニュージーランド留学へと踏み出した。
楽しい留学生活の中で多様な価値観と出合う
とはいえやはり、実際に留学してみるまでは、ワクワク70%に不安30%という気持ちだったという。
「言語環境が違うことや人さまの家で生活すること、あと学校には若い人ばかりでなじめないんじゃないかとか、それなりに不安はありました。でもやっぱり楽しそうという未知のワクワクの方が断然大きかったですね」
いざ行ってみると、不安は杞憂に終わったそう。
「彼らは年の差を全然気にしないんです。同じクラスで学ぶ仲間として接してくれるので気持ちが楽でした」
ホームステイ先のホストマザーとの暮らしでも学ぶことは多かった。
「マザーのダイは料理上手で良い人なんですが、怒るとすごく怖くて・・・」
このマザーに怒られて、ホスト先を変えた留学生は少なくなかったそう。そうした生活の中で、岸本さんは自分の意見をはっきりと伝えることの大切さを学んだという。
「部屋が薄暗いので電気をつけて食事をしていたら、ダイに『ライトをつけるのはもったいない!消しなさい!』って言われたんです。私が『ダイの目はブルーだけど、僕はブラウン。サングラスを掛けているのと同じで、僕にとっては暗いんだ』って意見したら、ダイはちょっと考えて『半分ならつけてもいいよ』と。その時に海外は交渉してお互い納得のいくところで結論を出すという文化なんだと気付きました。日本は意見を言わないで察してくれるのを待つ文化。でもその方が、世界的には特殊なんですよね」
もう一つ、ホストマザーとの印象深いやりとりがある。
「私が働いてきたゲーム業界は忙しくて、定時で帰るとか、平日に家で夕飯を食べるとか、ほとんどなかったんです。それをダイに話したら、すごく悲しそうな顔をして『ヨシ、それは不幸よ。そんな会社辞めた方がいいわ』って。ショックでした。当時の日本では、こんなに仕事しているんだぞって誇らしい気持ちさえありましたから。幸せの定義は国によって違う、これは日本にいては分からないことでした」
ある日突然、英語耳に!予想以上の語学力アップ
もともと岸本さんは英語力アップを最優先目標にはしてこなかった。それでも授業後は図書室での勉強を欠かさなかったという。
「2ヵ月目の半ば、朝起きたら突然ホストマザーが何を言っているのか、脳内で日本語に変換せずともダイレクトに分かるようになったんです。短期の留学ではなかなか経験できないことでしょうから、長くいてよかった!と思った瞬間でした。この頃から、他国の留学生と遊びに行くことも増えたりして、外国人と話すことへの抵抗感はなくなりましたね」
新たな自分を発見して、教育業界へ転身
帰国後、岸本さんはゲーム会社ではなく、大学でゲーミフィケーション*を教える特任講師の職に就いた。このジョブチェンジは、留学中のある出来事がきっかけとなっている。
「語学学校のスタッフに言われたんです、『よく若い子のお世話をしていますね』って。クラスに中学生の留学生がいたのですが、彼は授業に集中できずふざけたりして、先生に持て余されていました。それで私は隣の席になった時に『先生がなんか言ったら起こしてやるから寝てろ』とか言って面倒を見ていたんです。
そうこうしているうち、私に懐いてきて『ヨシの隣で勉強したい』と言うようになって。先生からも『彼の面倒を見てくれてありがとう』ってお礼を言われました。
特に意識してやったわけではなかったのですが、自分の行動を褒められ、肯定されたのがすごくうれしかった。それで若者と接すること、人に何かを教えることに向いてるのかと思うように。なので、帰国後の就職活動は、ゲーム関係のことを教える職業を調べることから始めました」
現在も学生たちに講義をしながら、フリーランスでゲーミフィケーションデザインの研究や普及活動に携わっている。
「ゲーミフィケーションデザインは人を引き付けて夢中にさせる仕組みをつくることです。身近な例ではショップのスタンプカードがそう。何かがもらえるという実利はもちろんですが、たまっていく過程のワクワク感が一番大事。世の中でワクワクして思わずやっちゃうことってゲーミフィケーションの要素が入っているんです。勉強や仕事、つらくてやりたくないことを無理矢理やらせるのではなくて、ゲーム要素を入れて楽しみながら続けられる仕掛けづくりができないかなと考えています」
さて、岸本さんにとって半年間の留学は何色だったのだろう?
「黄色です。幸せの色。私の大好物のオムライスの色であり、なりたい色でもある(笑)。世界中の若者と一緒に学び、個性豊かなマザーと生活を共にした日々は、本当に充実していました。留学=楽しいっていうのは、私にとってまさしく真実でしたね。”世の中こういうものだろう〟という決め付けはいい意味で壊されましたし、語学学校で学生側の視点をもてたのも強みとなりました。この留学が転機となり、今の自分がいます」
*ゲームの要素や原則、仕組みをゲーム以外の分野で応用すること。
【プロフィール】
プロフィール/きしもと・よしひろ。1959年生まれ。1982年にナムコに入社し、開発した『プロ野球ファミリースタジアム』(通称ファミスタ・1986年発売)がミリオンセラーに。退社後、51歳の時にニュージーランドへ半年間の語学留学をする。帰国後は東京工科大学メディア学部准教授を務めるなどし、現在はゲーミフィケーションデザイナーとして活動している。著書には『きっしいのオムライス大好き! 』があり、オムライス好きとしても知られている。
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